(真言宗高松山往生院 京都市右京区嵯峨鳥居本小坂町)
法然の弟子良鎮によって往生庵として開山という。平家の家人江部時久の娘である祇王は、白拍子(歌舞)によって平清盛に寵愛されたが、若い仏御前にその座を奪われて追放された。祇王は妹の祇女、母の刀自と共にこの往生庵で尼となり、後に仏御前も加わって四人で余生を送った。その後、庵は次第に衰退し廃寺となり大覚寺預かりとなったが、明治28年(1895)京都府知事北垣国道の別荘を移築して本堂とし、大覚寺の塔頭として再興された。






















![]() |
|||
---|---|---|---|
閲覧 | 4,386 | PV | ![]() |
訪問者 | 556 | IP | ![]() |
![]() |
|||
閲覧 | 6,365,791 | PV | |
訪問者 | 1,688,160 | IP | |
![]() |
|||
日別 | 1,034 | 位 | ![]() |
週別 | 1,602 | 位 | ![]() |