(京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町)
嵯峨天皇第十二皇子である源融(みなもとのとおる)の山荘栖霞観(せいかかん)があったこの地は、源融が発願した阿弥陀三尊像により、棲霞寺として成立したのが始まりとされる。永延元年(987)東大寺の僧奝然(ちょうねん)とその弟子盛算によって華厳宗五台山清涼寺として開山し、釈迦堂が造立された。その後、融通念仏宗の道場となるが、享禄三年(1530)浄土宗に改宗されている。釈迦堂(本堂)は慶長七年(1602)豊臣秀頼により改築されたが、寛永十四年(1637)嵯峨大火によって焼失した。現存する釈迦堂(府有形)は、元禄十四年(1701)徳川綱吉の母桂昌院の発願と住友吉左衛門の援助によって再建されたものである。



























