(京都市中京区壬生梛ノ宮町)
幕末、壬生寺は新撰組の兵法調練場として使われた。そのため後世、新撰組隊士十一名(局長近藤勇、局長芹沢鴨、副長助勤平山五郎、副長助勤阿比原栄三郎、副長助勤野口健司、副長助勤安藤早太郎、勘定方河合耆三郎、伍長奥沢栄助、伍長葛山武八郎、平隊士新田革左右衛門、田中伊織)の末裔らによって境内放生池の中島壬生塚に墓標、供養塔が造立されている。また、同所には壬生官務家の墓塔もある。
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