(愛知県豊川市)
夕方、市内を漫ろ歩いてみた。次第に曇天となったが、淡い色の桜を見ていると、この地での私の苦楽が走馬灯のように甦るようだった。
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(大阪市中央区)
近代的な構造物の根元に、石垣の一部が見える場所がある。
文禄三年(1594)豊臣秀吉の大坂城時代に、三の丸の築造が開始された。平成元年、大阪ドーンセンター建設時に検出された石垣は、その当時の石垣である。慶長十九年(1614)大坂冬の陣の際、家康勢によって大坂城総構えの破却が開始され、地中に埋没していった。
元和五年(1620)徳川秀忠によって大坂城が再建され、旧大坂城に覆い被さるように郭が築造された。昭和50年(1975)日経新聞大阪本社建設の際に徳川時代の石垣が検出され、工事完了後に現在地に復元された。
昭和54年(1979)追手門学院小学校建設の際にも石垣が検出されている。
(いとぬき 岐阜県本巣市)
糸貫は、まちを流れる伊津貫川が転化した糸貫川の名が由来となっている。地名としては、昭和の大合併の際に用いられるようになった。この辺りは富有柿の産地であり、また田園地帯である。故に人口も少なく、集客率も低いところに独立系ショッピングモールができ、近隣に更に同様の性格の店舗ができた。そのため共倒れとなり、惰性で運営しているような状態の店舗が残った。大手が進出しなかった理由がここにあるであろう。そんな翻弄されたまちである。
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(静岡県磐田市西町 1982年7月13日 県指定天然記念物)
磐田駅前には、夏の強い日差しを遮る涼しげな一画がある。応永四年(1371)旭光房が浄土宗の念仏道場を開き、同じくして植えられたとされる楠が葉を広げている。寺は、昭和42年(1967)に区間整理によって市内見付に移転したが、善導寺の大楠として今も生き続けている。
(滋賀県長浜市平方町)
びわこ大仏から北上すると、道が弧を描き街道の雰囲気が漂ってくる。その街道沿いには、犬塚の伝説がある平方天満宮が鎮座する。元々は犬神明神といい、加賀前田利家によって天満宮に改められたという。
昔、この付近には人身御供の習慣があった。村人は若き娘を神に捧げていると信じていたが、ある男がそれに疑いを抱き、娘を奪う者を確かめようとした。そして、夜中に黒い物体が「めっきに言うなよ」と言いながら現れ、娘を奪っていった。後に、「めっき」とは近くに住む長者の飼う犬「目検枷:めたてかい」であることが分かり、翌年の人身御供の際にその目検枷を連れていくことにした。翌年、目検枷はその黒い物体に飛びかかり退治したが、目検枷も命を落としてしまった。その目検枷を供養するために築いたのが平方天満宮境内にある犬塚であるという。
(わたなべのつ 窪津 大阪市中央区)
熊野街道の起点はこの地である。かつて旧淀川の河口であったこの地には港があり、水運と陸運の拠点であった。平安時代後期に源綱がこの地に移り住み、渡船を支配したことから苗字を渡辺としたとされる。現在は京阪電車が東西に走り、人の流れが変わった。(天神橋方面)