(まかごじんじゃ 愛知県新城市一鍬田字下六田 旧村社 1982年9月)
摩訶戸古墳の南側に鎮座する神社である。古来は「馬門大明神」と称し、保食神(うけもちのかみ)を祀る。
(離宮八幡宮 桐原日桁宮 京都府宇治市宇治山田 世界文化遺産 国宝 国指定重要文化財 下社:旧府社 上社:旧村社)
平等院から宇治川を渡ると、下社である宇治神社が鎮座し、更に進むと上社である宇治上神社に辿り着く。共に菟道稚郎子命(うじのわきのいらつこのみこと)を祀り、近隣に平等院が建立された頃その鎮守となって、現存する社殿が造営されている。
(下社 宇治神社)
宇治上神社へ
(国宝 旧宇治離宮 拝殿 鎌倉)
雷鳴と共ににわか雨が降り出した。
木々を潤す
小さな大河
再び光を取り戻した
(沖縄県石垣市)
訪れたときはクリスマスであった。本州は寒波にみまわれ、軒並み一桁の気温であったが、先島地方は20度前後の気温を維持していた。天気は澄み渡る青というわけではなかったが、三日間の滞在中は概ね晴天であった。地元の人によれば、この時期の晴天は少なく、月に三日もあればまずまずということであったので、タイミングとしては良かったといえるだろう。
着陸に技術を要する短い滑走路の石垣空港を降り、石垣港のある市街地に向かう。
到着が昼頃であったため温かいものを食したいと思い、石垣牛の牛汁を食した。(石垣の水がめ 真栄里ダム)
(マンタの滑り台)
(石垣市立図書館)
(機銃掃射壁)
(あやぱにモール)
(地域関連記事:唐人墓 川平湾 山原 米原ヤエヤマヤシ群落 宮良殿)
(東京都品川区荏原)
武蔵小山のアーケードを南に抜けると、中原街道となる。中原街道は虎ノ門から平塚に至る街道で、東海道より古い歴史を持つ。かつての光景を残すところはないが、風情は今も感じ取ることができる。
(阪堺電気軌道阪堺線)
大阪市浪速区恵美須町駅と、堺市西区浜寺駅前駅を結ぶ、14.1kmの軌道線である。明治44年(1911)恵美須町-市ノ町(大小路)9.0kmが開業したのが始まりであり、翌年には全線開業した。(モ161形 1928年製造)
(モ701形 1987年製造)
JR飯田線に乗る。(家近くの川辺。少し下流には桜並木がある)
(とよがわ を渡る)
(JRと同じホームにある名鉄に乗り換える。ICエリアが外れる私には、簡易改札機は関係がない)
(ICは4月21日に共通利用となった)
(名鉄で飯田線車庫の横を通り)
(左2線:東海道線 中央1線:JR飯田線・名鉄下り線(JR所有) 右1線:JR飯田線・名鉄上り線(名鉄所有)の共用区間)
(JR船町駅を通過する名鉄電車)
(とよがわに残る東海道線上りと飯田線下り橋台)
(飯田線下りのロングレールと名鉄本線上りのガタゴトレール:右)
(とよがわ放水路を渡る)
(名鉄:左とJR:右が分岐する)
(主要地方道東三河環状線をくぐる)
(名鉄の信号方式:停車駅黄色進入、赤停車でヒューマンエラーを防いでいる)
(本宿駅を過ぎ)
ここから10分ほど乗車すると下車駅となる。
(北海道函館市豊川町)
函館駅を降り、宿泊先に荷物を預けた後、港に向かう。些か斜陽イメージの漂う港には、かつての繁栄を感じ取ることができた。然しながらこの豊川埠頭は、函館の水産物市場があり、北の台所の役割を担っている。
(北海道第一歩の地碑)
(新島襄ブロンズ像)
(西波止場)
(愛知県新城市八名井字段林 1982年7月)
昨年(昭和56年)発掘調査の行われた、段林5号墳の周辺に位置する弥生時代前期の遺跡である。過去に石器や甕棺が出土している。
このミカン畑の光景も、いずれ失われるであろう。
(京都府宇治市)
三十年振りに宇治のまちを訪れる。まちを流れる宇治川は、琵琶湖から瀬田川が流出し、京都府に入ると宇治川と名を変え、大阪府に入り木津川、桂川を合流して淀川となる。その近畿有数の川の川縁を漫ろ歩いた。
(東京都目黒区下目黒・品川区小山台)
武蔵小山の北側には、かつての自然を振り返ることのできる場所がある。この場所は、明治33年(1900)農商務省林野整理局目黒試験苗圃として開場したのが始まりである。昭和53年(1978)周辺環境の変化により試験苗圃(林業試験場)は茨城県に移転し、都立公園として整備され現在に至っている。故に、都会でも多くの植物を見ることができる。