八高線は、中央線八王子駅と、高崎線高崎駅(路線は倉賀野まで)を結ぶローカル線である。内、川越線直通で電化されている八王子方向と分断されている非電化の高麗川~倉賀野間を便宜上、八高北線と呼ぶ。
小川町駅 東武東上線8000系と30000系
丹荘駅 上武鉄道跡
秩父平野
神流川
上越新幹線
鏑川・烏川合流点
高崎駅
(岐阜県多治見市・中津川市)
(写真上)ユニー中津川店は、中山道沿いの新町に、昭和45年(1970)西川屋(ユニーの前身の一つ)中津川店として、RC造5階地下1階の店舗を開店した。昭和61年(1986)に新館を増床したが、本館が老朽化したことや手狭になったことから、平成9年、駅前通り沿いに「アピタ」として移転した。
ギャラリエアピタ多治見(ユニー多治見駅前店ギャラリエアピタ館)は、昭和60年(1985)ユニー多治見駅前店の分館として、隣接する旧アオヤマ(ながせショッピングセンター)のRC造5階、延床面積3,783m2の建物を利用して開館。然しながら、郊外型店舗の攻勢により次第に売場面積を減らし、平成16年に閉館した。(ユニー本館も翌々年閉店)
ダイエー中津川店は、エコー中津川店として、昭和46年(1971)に開業。昭和52年(1977)RC造6階、地下1階、延床面積11,453m2の現ビル築造を機に商号がダイエー中津川店となった。(但しエコーによるFC経営) 平成5年、ダイエーに直営化されたが、平成10年、ダイエーは撤退。平成19年、中津川市が旧管理会社さかえビルディングから買収し、主に市の関係機関が入る「にぎわいプラザ」として利用された。
(鹿児島県熊毛郡屋久島町)
伊丹から空路で屋久島入りをする。思いの外飛行機も空港も空いており、船で上陸する者が多いのが分かる。屋久杉と漁業、主にトビウオで栄えた島は、今は観光に主力を置いている。屋久島の人びとはどちらかというと南国顔。イントネーションは九州と沖縄の中間といった感じである。世界自然遺産に登録されたこともあり、環境意識があるといえる。標高1900m,南国ながら冬は雪も戴き、夏は雨も多く、周囲は日本の島として面積9位、周囲130kmあって、島ながら水は豊富である。「山に行くときは空のペットボトル持っていけばいいよ」という言葉が印象的であった。
74人乗りボンバルディアDHC-8-Q400
屋久島空港
特産 飛魚丼
(関連記事:屋久島山中へ 小杉谷三代杉 仁王杉 屋久大株翁杉 ウィルソン株 大王杉 夫婦杉 縄文杉へ 安房森林軌道 宮之浦)
(もろやま 埼玉県入間郡毛呂山町)
東武越生(おごせ)線東毛呂駅に降り立つ。「毛呂山」は昭和14年(1939)毛呂村と山根村が合併した際に誕生した地名であるが、その毛呂(もろ)は周辺にある越生、越辺(おっぺ)同様、大和地名ではないという説がある。鎌倉時代には鎌倉に至る街道が整備され、上道(かみつみち)と呼ばれた。
(愛知県犬山市明治村 旧所在地:札幌市中央区大通 重要文化財)
明治31年(1898)に築造された、木骨石造2階の建物であり、石材は札幌軟石石切場の材料が使用されている。明治43年(1910)札幌中央郵便局に転用されるにあたって、延床面積263m2(現存面積) に増築されている。昭和40年(1965)明治村に移築されるにあたり、RC造化されている。
(矢倉沢往還 静岡県御殿場市 2004年4月24日)
平安時代、この地に伊勢神宮の荘園「御厨:みくりや」があったことから、御厨と呼ばれていたが、元和二年(1616)に没した徳川家康の遺体を久能山東照宮から日光東照宮へ移送する際、この地に仮の御殿を建てて、遺体を安置したところから「御殿場」という地名は生まれたとされる。
(岐阜県関市池尻 2003年4月28日)
この地には、長良川の風光明媚な立地を利用して開業した料理旅館(結婚式場・遊園地併設)の孫六苑があったが、平成2年に廃業してしまった。残されている建物には、大正11年(1922)織物業後藤恕作(じょさく)の長良川別荘として中国、秦の始皇帝の宮殿を模して造られたという阿房宮がある。昭和7年(1932)後藤毛織が倒産したため、別荘を市営長良川ホテルとして開業。進駐軍の接収を経て、同ホテルの別館として利用されていたが、昭和45年(1970)ホテルを近鉄に事業譲渡するのを機に、当地に移築、同苑の結婚式場となった。文化財指定レベルの建造物ながら、今は廃屋同然の有様となってしまっている。現役時代の昭和53年(1978)には、北側に離れ及び茶室も建てられた。廃業後、辺りは共同住宅や自然公園として再開発する計画があったが、その後は進展していないようである。
(古池 奈良県生駒郡斑鳩町岡本)
日本霊異記に次の伝説がある。岡本尼寺(法起寺)には観音像が十二体あった。然し、聖武天皇の時代に観音像六体が盗まれ、八方手を尽くして探したが見つからなかった。年月が経ち、子ども達が寺近くの池の中にある木枝の先に鷺がとまっているのを見て、小石を投げても逃げないので捕まえようと近づくと、そこに金色の観音像があった。盗まれた仏像は元通り寺に安置された。鷺は観音様が姿を変えたものだと信じられ、ますます観音様の信仰が篤くなったという。