ニース・コート・ダジュール空港からアリタリアでローマ・フィウミチーノ空港に向かう。搭乗検査の厳しいフランスから再びイタリア国内に向かったが、イタリアの出国審査は適当であった。 一番前の座席
機内食
イタリア上空
ローマ・フィウミチーノ空港着陸
空港内モノレール
(愛知県新城市 桜淵県立自然公園)
私が小学校の遠足で来て以来、幾度となく訪れている場所。元々は地殻変動や豊川の浸食作用によってできた峡谷、景勝地笠岩と呼ばれていたものを、寛文二年(1662)桜淵から程近い、新城城主菅沼定実が桜を植えさせ、景勝地桜渕へと変わっていった。年々上流から土砂が流れ込み、浅くなっているといわれる桜渕。その昔、この淵の底には豊川の魚を取り仕切る竜宮があると伝えられてきた。
親孝行な少年が、病気になった母親に効くものが鯉の生き血と聞き、この桜渕の鯉をもりで刺したところ、少年もろとも引き込まれてしまった。渕の底に着くと神様が居り、少年が理由を話すと、神様はそれは可哀想だと魚籠をくれた。その魚籠は、水の中で蓋を開けると、欲しい魚が出てくるというものだった。少年は、この籠によって母親の病気を治すことができたという。桜渕にはこのような伝説が伝えられている。
(関連記事:桜淵平成二十六年)
(岐阜県大垣市昼飯町東山田 1990年5月22日踏査)
昼飯古墳群の程近く、長さ75m,高さ5mの横穴式石室を持つ前方後円墳である。竹林と耕地となっている地形の輪郭からも、古墳の存在を読み取れる状態である。
(日蓮宗妙厳山本覚寺 神奈川県鎌倉市小町)
源頼朝によって天台宗の夷堂(えびすどう)として創建したのが始まりとされる。文永十一年(1274)日蓮が滞在し、この地で説法を行ったという。そのため、後に日蓮宗に改宗され、日蓮の遺骨を分骨し、東身延と称されるようになったとされる。
新幹線のほか、時折在来線で東国入りすることがある。
ひととせに やおら鈍行 あづま路へ 豊橋
改修中の舞阪駅
浜松
金谷 1958年製 元南海高野線特急21000系電車
清水
興津
新蒲原
富士
吉原
東田子の浦
熱海
湯河原
小田原
茅ヶ崎 相模線205系
相模平野
品川
有楽町
(主要地方道新城引佐線 愛知県新城市野田・一鍬田 1999年4月30日)
市道Ⅱ-2号線と主要地方道鳳来豊橋線を接続させる豊川の橋である。右岸側に島田氏陣屋跡があるため、発掘調査が行われた。発掘に際し弥生時代後期の土器が検出されたが、私が1978年に陣屋跡を踏査した際に弥生時代後期末の欠山式(小坂井町欠山遺跡 三河編年標式)の高坏片を採集している。橋は長さ350mのローゼ桁橋として築造される予定である。 島田陣屋跡
(Cannes フランス共和国プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏アルプ=マリティーム県カンヌ市)
フランスコート・ダジュール地域では、ニースに次ぐリゾート地であるカンヌが今のようになったのは、19世紀に入ってからという。「カンヌ」は葦が多く生える地を意味するように、それまでは自然豊かな小さな漁村であった。1834年、コレラが蔓延したイギリスから地中海沿岸に逃れてきた政治家ブルハムが、漁村であったこのカンヌを滞在地に選んだ。それ以来多くの有力者が別荘を建てるようになったという。第二次世界大戦後はカンヌ国際映画祭が開催されるようになり、多くの来訪者で賑わっている。私が訪れたこのときは、周辺各地で被害をもたらす程の豪雨に見舞われたときで、行動範囲が制限された。
オッシュ通り
パレ・デ・フェスティバル・エ・デ・コングレ(国際会議場)に隣接する公園
アートセンター ラ・マルメゾン
(東京都大田区蒲田)
前日の渋谷から日が変わる頃、東急多摩川線蒲田駅から歓楽街を横切りこの地に宿泊した。京急蒲田駅前に広がるこの一角は、東海道線(京浜東北線)蒲田駅からの人通りの多いところであり、「京浜蒲田商店街あすと」のアーケードがある。また、下町の風情と共に蒲田八幡神社や妙安寺があり、近年の京急線立体交差化の時期に建てられたマンション等が混在していて、独特の雰囲気を漂わせている。
蒲田八幡神社
妙安寺
整備の進む京急蒲田駅西口
三層化された京急蒲田駅
(ひるいこふん 岐阜県大垣市昼飯町村北・東山田 1990年5月22日踏査)
昼飯古墳群は12基からなるが、一部でも残存し確認できるものを羅列する。1号は円墳で直径36m,高さ6.3m,二段築成、葺石を持つ。2号は円墳であるが削られて横穴式石室が露出し、上田石灰の塵芥捨場となっている。3号は円墳で直径約10m,高さ1mで周濠がみられる。5号は円墳で直径23m,高さ2.3mで、石灰工場のヘドロの中の島となっている。7号・8号は共には円墳であったが土取りによって消滅し、石室の石材の一部のみ残る。
(だいぎょうじ 日蓮宗長慶山大巧寺 神奈川県鎌倉市小町)
鎌倉駅前、若宮大路に面する寺院である。始まりは鎌倉市東部の十二所に真言宗の寺院大行寺として創建したが、後に日蓮宗に改宗し現在地に移転している。現在は安産祈願の寺「おんめさま」として信仰を集めている。
東国からの帰りの光景。 251系スーパービュー踊り子 横浜駅
東急東横旧線跡
藤沢駅の湘南型80系売店
鴨宮駅からの富士
国府津駅
小田原駅
熱海駅の黒船電車(伊豆急2100系リゾート21)
伊豆急8000系(旧東急8000系)
2100系リゾートドルフィン号
函南駅
三島駅に乗り入れるJR東日本E233系
三島駅の分岐凹ホーム
駿豆線3000系 三島駅
藤枝駅のライナー乗車整理券回収箱
373系ホームライナー
藤枝駅南口のイルミネーション
313系2300番台(ワンマン仕様)
(いぼがみこふん 愛知県蒲郡市五井町 市指定史跡 1999年4月29日踏査)
かつてこの辺りに存在した8基からなる五井古墳群の1つであり、この古墳も封土は失われ横穴式石室が露出している。「いぼがみ」の由来は、この地を統治していた五井松平家の娘が疣(いぼ)で悩み、石室の岩の窪みに溜まった水を疣に浸けると疣が取れるという伝説を知って、娘も実践してみると伝説通りに取れたという。