
(京都市左京区聖護院中町 国指定史跡 重要文化財)
寛治四年(1090)に創建された、修験道の本山である。火災により現在地から岩倉長谷、烏丸今出川へと移り、延宝四年(1676)再び現在地に移転している。門跡の名称は皇族、摂家の門主が多いためである。

(京都市左京区岡崎西天王町 旧官幣大社)



三十年振りに平安神宮に参拝する。平安神宮は、明治28年(1895)平安京遷都を行った桓武天皇を祀る神社として大内裏を模して創建された。皇紀二千六百年の昭和15年(1940)平安京最後の天皇、孝明天皇も祭神となった。昭和51年(1976)放火により全焼し、昭和55年(1980)再建されている。




(京都市左京区岡崎最勝寺町)
昭和35年(1960)建築家前川國男によって設計された、RC造3階地下1階、延床面積16,853m2のホール・会議場である。庇が特徴的なモダニズム建築であるが、平成24年(2012)第一ホールの改築が行われ、地上6階地下2階、延床面積21,042m2となり、ネーミングライツによりロームシアター京都となった。

(岐阜県不破郡関ヶ原町今須 2007年4月24日)
正平十五年(1360)土岐氏臣でこの地の領主である長江重景が下野国那須野の殺生石(火山岩)を退治したという曹洞僧大徹宗令を開山として、父母菩提のために妙應寺を建立したという。
(京都市左京区岡崎成勝寺町)
昭和26年(1951)ナニワ工機で製造された800形860号車として始まる。昭和43年(1968)ワンマン改造され1800形1860号車となった。昭和53年(1978)京都市電廃止に伴い大宮交通公園に静態保存され、平成27年(2015)現在の岡崎公園京都府立図書館前に移動された。

(岐阜県不破郡関ヶ原町玉 2007年4月24日)
玉集落には、「日本武尊霊蹟」という石碑と共に、日本武尊が腰掛けたという石がある。日本武尊(やまとたけるのみこと)の伝説は、この付近には幾つか伝わっている。
(京都市左京区岡崎成勝寺町)
明治42年(1909)建築家武田五一により設計された、煉瓦造3階建の和洋折衷建築である。然しながら平成7年(1995)の阪神大震災により被害を受け、外観のみ保存復原され、内部は建て替えられた。
(岐阜県不破郡関ヶ原町玉 2007年4月24日)
大正5年(1916)に竣工した、陸軍兵器庫である。昭和18年(1943)空襲に備えて、火薬の疎開のため130もの横穴壕が築造され、東洋一の火薬庫と称された。
(岐阜県不破郡関ヶ原町玉 2007年4月24日)
昭和47年(1972)に開園した、化粧品会社経営の遊園地である。敷地18万m2にはスケートリンクもあり、東海地方ではCMも流されていたが、一時休園を理由に平成12年(2000)に閉鎖された。
(浄土宗単立龍池山大雲院 京都市東山区祇園町)
天正十五年(1587)織田信長、信忠の菩提を弔うため正親町天皇により御池御所(烏丸)に創建されたが、間もなく四条に移された。昭和47年(1972)隣接する高島屋京都店の増床に伴い、現在地の旧大倉邸真葛荘・東伏見宮邸に移転した。祇園閣(銅閣・国有形)は昭和3年(1928)大倉邸時代に伊東忠太により設計された、SRC造3階、祇園祭の鉾を象ったものである。

(岐阜県不破郡関ヶ原町山中 2007年4月24日)
落差4mの鶯の滝のある黒血川は、壬申の乱(672)の際、大海人皇子(おおあまのおうじ:後の天武天皇)勢と大友皇子(おおとものおうじ:後の弘文天皇)勢がこの地で戦い、多くの討死者を出し