(京都市左京区北白川西町)
志賀越道から白川通に入る付け根に、鎌倉時代中期に造立されたという大きな石仏がある。天正十四年(1586)豊臣秀吉が平安京の大内裏に築かれた聚楽第に、この石仏を庭に運び入れた。然し、石仏が鳴動したため元に戻したと伝わる。天明八年(1788)拾遺都名所図会にも「稀代の大像」として紹介されている。
アクセス | |||
---|---|---|---|
閲覧 | 638 | PV | |
訪問者 | 374 | IP | |
トータル | |||
閲覧 | 6,297,924 | PV | |
訪問者 | 1,665,734 | IP | |
ランキング | |||
日別 | 2,278 | 位 | |
週別 | 1,590 | 位 |