

(北海道夕張市高松・社光 2013年5月1日)
かつて夕張には16の映画館があった。平成2年(1990)からは、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭が開催され、石炭の歴史村による観光拡大の一環として、平成15年(2003)当時の夕張市長によって北炭炭鉱住宅跡地に新たな観光施設が開設された。第一期計画が生活歴史館開設、第二期計画が絵と写真でつづる夕張の歴史館、キネマの歴史館、第三期計画が石炭ガラス工芸館、夕張花の押し花館であったが、第三期の着工前に夕張市が財政再建団体に移行したため、未完となった。また、残された施設は民間による指定管理となったが、採算が取れず閉鎖された。


(北海道夕張市高松 2013年5月1日)
大正9年(1920)北海道炭礦汽船(北炭)によって築造された、鹿ノ谷の夕張工業学校(1948-夕張工業高等学校)校舎を昭和55年(1980)同校新校舎建設を機に、夕張市石炭博物館の付属展示施設、炭鉱(やまの)生活館として外観を移設縮小再現させたものである。(2015年解体)














(北海道夕張市高松 国登録有形文化財 2013年5月1日)
昭和11年(1936)に築造された、RC造、長さ22mの歩道用アーチ橋である。鉄道が斜面を掘削して通されたため、この橋も傾斜のある構造となっている。
(北海道夕張市 2013年5月1日)
夕張市丁未と岩見沢市栗沢町との境の標高650m地点より発し、夕張市南清水沢で夕張川に注ぐ。志幌加別はアイヌ語で、志(主に)・幌加(後戻り)・別(川)を意味し、北炭地区の旧地名「登川」の名の由来でもある。











(北海道夕張市旭町 2012年5月1日)
昭和53年(1978)市役所新庁舎竣工により機能が集約されたため、本町にあった図書館と、郷土美術館、青少年相談センターが入る施設として活用された。市役所別館は開館から25年以上が過ぎ老朽化が著しいため、昭和63年(1988)郷土美術館は向かい側の旧夕張セントラルボウル跡地に移転されている。平成19年(2007)図書館は夕張市財政再建団体移行により閉鎖され、夕張市若菜の保健福祉センター内に図書コーナーとして移転された。その後、市役所別館は放置されている。
(千葉県富津市金谷・安房郡鋸南町元名 日本百低山55番 関東の富士見百景47番)
房総丘陵の一角を成す標高330mの山から見る東京湾と富士。