(三念坂 東京都港区麻布台 2013年7月4日)
飯倉の霊友会釈迦殿の脇を通り、我善坊谷に向かう坂を三年坂と呼ぶ。江戸時代からある坂であるが、我善坊谷一帯が森ビルによる再開発が計画されているため、近い将来光景が一変するであろう。
(京都市上京区西大路町)
元滋野中学校である京都まなびの街生き方探究館の入口には井戸がある。付近は平安時代中期初期の公卿である滋野貞主の邸宅跡であり、敷地内に湧き水があったことから、貞主を滋野井泉殿と呼んだという。現存する井桁は江戸時代と推定され、平成27年(2015)現在地に移転された。
(京都市上京区下立売通室町角)
永禄十二年(1569)織田信長が足利義昭のために築いた城である。天正元年(1573)義昭は信長によって追放され、取り壊された。昭和49年(1974)地下鉄烏丸線築造に伴う発掘調査によって、石垣に使用された石仏が百躰以上検出されている。
(京都市上京区下立売通烏丸西入五町目町 市指定有形文化財)
烏丸通と下立売通の角に位置する教会は、明治31年(1898)平安女学院の礼拝堂及び日本聖公会聖三一聖堂として献堂された、煉瓦造ゴシック様式、バシリカ式(聖堂が十字架形状)、三廊式(中央の身廊の両脇に一列の側廊を配す)の聖堂である。昭和5年(1930)聖三一聖堂が中京区聚楽廻中町に移転後は、現在の聖アグネス教会となった。








(旧所在地:千葉県山武郡九十九里町作田 国指定重要文化財 2013年7月3日)
九十九里浜に面する佐久田村の名主で網元でもあった作田家の住宅である。江戸時代中期に築造され、主屋と土間が別棟であり、建築面積は253㎡である。昭和44年(1969)日本民家園に移築復原された。


(旧所在地:鹿児島県大島郡和泊町 2013年7月3日)
茅葺きの屋根の内側が倉となっており、穀物を保存する。奄美型の高倉は、琉球型より屋根の勾配が急な違いがある。昭和44年(1969)日本民家園に移築復原された。
(旧所在地:山形県鶴岡市松沢 県指定重要文化財 2013年7月3日)
江戸時代後期に築造された「ハッポウ」と呼ばれる高窓を持つ建築面積152㎡の住宅である。内部は板敷き三層となっており、高窓が採光と換気、豪雪時には出入り口となる。昭和45年(1970)日本民家園に移築復原された。







