京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

万葉のロマンを胸に

2008年05月26日 | 日々の暮らしの中で
京都市から外へ出ると、日常にない光景が目の前に広がり、なんとも言えない開放感にひたれます。

今は名神高速道路で、“京から東国へ下る時も、都に帰る時も”、蝉丸トンネルへかかる手前は、逢坂山が迫り、緑が深い。とっても深い時期です。

百人一首で早くから覚えた蝉丸の歌。蝉丸という名に惹かれ暗唱したのを覚えています。彼は幼少のころから盲目で逢坂山に捨てられたとか...。
諸説ある中、今のように車の騒音がない時代、彼の弾く琵琶の音がどう響いていたのでしょう。

これやこの 行くも帰るも 別れては
  知るも知らぬも 逢坂の関

美しく輝く麦畑を左手に眺めながら、進む場所があります。
小麦色、「黄金色」と言ったほうがいいでしょうか、光っています!
「麦秋」、「麦の秋」は夏の季語。
父や母が眠る方向をずっとずっと前方に見やれば、少し霞んではいるものの、辺りは一面緑ですし、道端は今盛りの花々で彩られています。
なだらかな山並みが続き、囲まれるようにして水田が広がっています。
こうしたコントラストが非常に素敵な光景でした。

所用を済ませ、帰路は別コースを使うことにしました。少し遠回りにはなるのですが、東近江市(旧 八日市市)を抜けて。

高い山の上に、「太郎坊さん」が見えます。中腹まで簡単に車で登れますから、ここで一休み。風が心地よい。
眼下には、蒲生野の水田地帯が広がります。
みごとな広がりです。
昔から変わらない風景なのでしょうか。奈良時代の人たちの生活が営まれていた所。
渡来人のあとを示すものも点在するところです。

  あかねさす紫の行き標野行き 野守は見ずや君が袖振る  額田王

  紫のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも   大海人皇子

歌碑のある船岡山へとは曲がらず、帰りました。

甲賀市信楽町の紫香楽宮跡から出土した木簡から、万葉集の歌が初めて確認されたという報道で、わくわくして記事を読んだのもつい最近のこと。
こうしたロマンあふれる地が身近にあることがなぜか嬉しく感じます。

歴史もあり、観光地として名高い京都ですが、全く違う感覚なのです。

コメント
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