京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

誰が風を見たでしょう

2008年05月23日 | 日々の暮らしの中で
✤『俳句はいま』 俳人・小川軽舟  (京都新聞 5/23付より)

友岡子郷の「天真のことば 私の実感的俳句論」(本阿弥書店)を読んだ。  (と始まる。)


誰が風を見たでしょう
僕もあなたも見やしない
けれど木の葉を顫わせて(ふるわせて)
風は通りぬけてゆく
   (クリスチナ・ロセッティ作詞、西条八十訳)

友岡は少年の日に覚えたこの歌を忘れない。そして、「見えないものが見えるとき、その自然の神秘な啓示のひとときに立ち会ってこそ、新にいい作品―詩歌でも俳句でも、絵画でも音楽でもーが生まれるにちがいない」と考える。

「散文のことばが主として事柄を説明し叙述するはたらきであるのに対し、俳句のことばは、物に感合し同化しようとするはたらきである」―
友岡は意味や概念や説明を離れて、物そのものとともにある言葉を「天真のことば」と呼ぶ。
友岡の代表句〈跳箱の突き手一瞬冬が来る〉も天真のことばの希求の結実と言えるだろう。
友岡の引用する「散文は歩行であり、詩は舞踊である」というヴァレリーの言葉(…後略)


一部略での抜粋
上記の詩は知らなかった。

★★今日の出会いの一つ。記憶のために残しておきたいと思う。
コメント (2)
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