「スプリングコート」、こんな軽快な響きをまとうこともできず、あくまでも防寒目的の服装で外出してしまった。4月…、まずいか?引き返そうか…。一瞬の躊躇も風の冷たさには抵抗できなかった。
「果てしなく美しい日本と私」と題したドナルド・キーン氏(89歳)による東日本大震災チャリティー講演に参加した。広島、愛知、東京からの参加者もいるとか、200人を少し超える熱気で会場内はムンムンだった。昭和28年、アメリカから日本へと発って、まっすぐ日本人の友人が待つ京都へ来られて2年間を過ごされた。文化の中心だった京都との出会い、思い出を語られた。
特に、文部大臣を務めた故永井道雄氏とは生涯の友となる出会いであったと。芭蕉の研究に没頭するキーン氏に、永井さんは「新聞を読んで現代を知らなくてはいけない」と奨めたという。そして伝統芸能ばかりではなく、三島由紀夫の演劇なども観るようになったことで、感想や意見を交わし合える日本語での“会話”が日常化していったそうだ。
外国語が話せることで日本語の特徴を知るのであり、日本という国を、国の方向性をも知るのだ。自分自身を知ることでもある。外国語を知らないということは日本を知らないということになる。若いうちにぜひ外へ出てみることを勧められていた。
トラックが通ると埃が舞い上がる土の道に打ち水をし、道端で陶器を乾燥させていたのは嬉しい風景だった。ガスストーブを断り火鉢を使った。炭のにおいは毒だと言われたがかまわなかった。
焼け残った柱の1本ぐらいは残っているのではないか、と金閣寺を訪ねたが何もなかった。暗い堂内、足利氏歴代彫像のガラス製の眼だけが光って自分を見るのは夏でも寒かったという等持院。拝観料もなく、祈るためにいつでも入れた竜安寺で、石庭には美しさを感じた。…
穏やかなお人柄が伝わり、ユーモアを交えてのお話に引き込まれた。
この時期の京都は実に30年ぶりだとか。氏のためにも開花を急きたくなるが…。

特に、文部大臣を務めた故永井道雄氏とは生涯の友となる出会いであったと。芭蕉の研究に没頭するキーン氏に、永井さんは「新聞を読んで現代を知らなくてはいけない」と奨めたという。そして伝統芸能ばかりではなく、三島由紀夫の演劇なども観るようになったことで、感想や意見を交わし合える日本語での“会話”が日常化していったそうだ。
外国語が話せることで日本語の特徴を知るのであり、日本という国を、国の方向性をも知るのだ。自分自身を知ることでもある。外国語を知らないということは日本を知らないということになる。若いうちにぜひ外へ出てみることを勧められていた。
トラックが通ると埃が舞い上がる土の道に打ち水をし、道端で陶器を乾燥させていたのは嬉しい風景だった。ガスストーブを断り火鉢を使った。炭のにおいは毒だと言われたがかまわなかった。
焼け残った柱の1本ぐらいは残っているのではないか、と金閣寺を訪ねたが何もなかった。暗い堂内、足利氏歴代彫像のガラス製の眼だけが光って自分を見るのは夏でも寒かったという等持院。拝観料もなく、祈るためにいつでも入れた竜安寺で、石庭には美しさを感じた。…
穏やかなお人柄が伝わり、ユーモアを交えてのお話に引き込まれた。
この時期の京都は実に30年ぶりだとか。氏のためにも開花を急きたくなるが…。