
日本画家の森田りえ子さんによると、宮沢賢冶はソメイヨシノを「なんだか蛙の卵のような気がする」と表したのだとか。
こぼれ散ることもなく満々と、まさに今真っ盛りと咲き満ちているようだった。
ゆさゆさと大枝揺るる桜かな 村上鬼城
桜の季節の巡り来るのを待ちわびたが、寺社の境内、学校に個人宅に、街の公園にと、身の回りにも桜があふれだした。鴨川も賀茂川も高野川沿いも見事な桜並木だ。もう至る所、どこででも桜を眺める場所があることに気づかされる。ただ、何か物足りないものがあるとすれば、やはりあのかわいい歓声、楽しい感性だ。
今年もやはり円山公園のブルーシート問題は報道された。3年前にJessieを連れて出かけたが、今年は長楽寺への参拝途中に少し園内を通ってきた。
ブルーシートは、毎朝夕公園内を見回って持ち主不明の20枚ほどを回収しているそうだ。が、即また新しいシートが敷かれ、いたちごっこが続いているという。1か月ほど敷きっぱしにして、交代に場所抑えの者がやってくる学生グループもあるらしい。桜の根への悪影響が心配されていた。ふらっと公園内に入ってもゆったり花見を楽しめない。とりわけ人出の多い場所に、鬱陶しいシートの占拠は即刻何とかしてほしいものだ。
桜はご神格とされた頃、古くは桜の真下では無作法なことはしなかったという。森田さんいわく、「花を愛でるというより、にぎやかなレジャー」と、「イベント」化したワイワイ呑んで騒ぐ花見の集団のためには、それなりの一角を設けたらよいのだ。木から離れて花見を楽しむ形にしたらいい。「異常な光景」という苦情が絶えないというが、もっともだ。よほどでなければ行く気はしない。

様々な風情を求め、新しい出会いを見つけたい。もちろん、お気に入りの場所だってある。
風に乗って小さな花びらが舞い出した。爛満と咲いて早くも移ろいゆく。どんな楽しみ方をするにしても、桜の開花を待ち焦がれる心情は私たちに共通の思いのようだ。