京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 「人待つ心」

2012年04月19日 | こんな本も読んでみた


      朝顔を蒔きて人待つ心あり   中村汀女

「花種蒔く・朝顔蒔く」という季語がある。寒さが去った春の彼岸前後に蒔く、とある。気温20度くらいに落ち着いた頃がよいとか憶えているのだけれど、もうそろそろだろうか。早くから、忘れないようにと昨年に収穫したタネの入った密封容器を目につくところに出しておいた。

ところがだ。玄侑宗久氏の芥川賞受賞作『中陰の花』(文春文庫)と併録された『朝顔の音』を読んで、ふと迷いが生じてしまった。

夜中に耳にする朝顔の葉ずれの「音」、葉に当たる賑やかな「雨音」。朝顔の野性的なまでの逞しい成長が発散する放縦な「エネルギー」に、主人公が抱く不気味さ。産後すぐ死なせたわが子にまつわる記憶。封印していた記憶や曖昧なままにしている記憶の甦り。
ある晩、朝顔の茂みから、「か細く高い音」が聞こえてくるのを感じた主人公は、狂ったように朝顔に襲いかかり両手で苗を引き抜き、伸びた蔓を引き下ろしてしまった。「蔓が延びる音」、絡み合った「蔓どうしのきしむ音」、だがそれは、「生まれる前の子供の声」の認識につながった朝顔の「音」だった。ラストに見せた彼女の涙にどうしようもない孤独を与えているような…。

霊媒師による「霊(たま)おろし」の手法が挿入されている。古代の巫女による宗教的な儀礼・神憑りでの言動、言うなら語り部を登場させているところが興味深い。

亡き弟につながる朝顔の開花に、3歳だったJessieの甲高い歓声が響いた夏の朝があった。今年の開花にどのような物語が生まれるやら。それを思えば、今年も、この「タネ」の語り部的存在としては、命の継承をすべきなのかもしれない。
なんと言っても、この花は“夢見花”なのだから。
コメント (4)
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