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熊野古道を歩いた汚れを洗い落としてからしまっておいたトレッキングシューズを出した。足を入れかかとを納めると、すっぽりと包み込まれた足の落ち着き具合は何ともいえぬ心地よさで、久しぶりの感触に気持ちが高揚してくる。またこれを履けることの嬉しさが満ちてきていた。シューズの試し履きも兼ね、色づき始めた木々を確かめようと外へ出てみることにした。
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落ち葉の絨毯の上を歩き、風もなくまっすぐ揺れ落ちてくる黄葉のひと葉を手で受けて一休み。東山三十六峰、最北の比叡山から大文字で知られる東山の如意ヶ岳へ、更にはもう少し南へと続いて見える山容を一望していた。
トレッキングシューズに問題はなし。『天空に浮かぶ石垣の幻想「現地ガイドと行く 竹田城ウォーキング」』日帰りツアーに参加を決めた。
今でなくてもいい、今度にしよう、などといった思いから、様々な機会を逃してしまうことはなんと多いことだろう。先送りせず、ためらうことを捨てようと思ったのだった。歩きまわれる気力・体力がある今を大切にしよう。
こうした決断の潔さは往々にしてプラスに働いてきてくれたように感じる。もちろん運の良さも味方してくれただろう。ただ、潔いなどと言えば聞こえはいいが、反面で思慮に欠く場合がないとは言えない。どちらもが私自身の姿で、性分かもしれない。
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人生の転機の中で、「もしもあの時・・・」、と語るとなると…? 歩きながら考えようと思ったけれど、結局何もまとまることなく終わってしまった。人生に数々ある転機には、何らかの形で出会いの存在があり、よりよい方向へ弾みがついてもきた。自分が常に良い出会いを求めていることも大切なことには違いない。「人生の岐路」、振り返った時に見えてくるものは・・・。やはり、こんなこと考えるのももったいない、良い季節に似合わないテーマではないのかしらん。