昨日はわりと穏やかなあたたかい日差しに恵まれた。
無為の一日、飛行機雲を見あげていた。
東から西へ。くっきりと尾を引いて伸びる直線もあれば、もわもわと緩んで崩れひろがるもの3本、4本。
もったいないので少し歩きに出たら、いつもより30分ほど時間をオーバーして帰宅。おかげで夜はぐっすり! ぐっすりと寝込み過ぎてしまった。
今日は雨。あたたかな大寒だ。
「京の冬の旅」が開催されているのを地元のテレビニュースで知って、どこかへ行ってみないか?という話になった。「そうねえ」 しかし、どこへ?と思いつかなく、愛想なく応じてしまう。
『花鳥の夢』ではラスト、永徳が東福寺法堂の天井に龍の図の下絵を描いていた…。
しかし、明治14(1881)年の火事で東福寺は法堂を含む多くの伽藍を焼失してしまうことが、取り出した五木寛之氏の『百寺巡礼』第九巻の中で触れられていて、永徳の龍は現存しない。書き上げてもいないのだと検索してわかった。
「龍」を離れ、今一度本法寺を訪ね、等伯による巨大な涅槃図をレプリカであっても拝見してみたい。
〈等伯は、さりげなく自画像も描きこんでいる。一番左の沙羅双樹の根元に座り込み、緑色の僧衣を着て、頬杖をついている男〉だと、安部龍太郎氏は『等伯』の中で書き添えていた。見てみたいじゃないの。
そしてかつて信長の定宿だったと知って訪ねてみた妙覚寺で、永徳の墓に参ろうか。
やっぱりいつも通り、それぞれの興味で動くのが楽だと思えてくる。
と、今ここで思い出すのは、葉室麟さんが書いておられた言葉。
「幕が下りるその前に見ておくべきものは、やはり見ておきたい」(『古都再見』)
そうしてこのひと言がしきりに思われたのは、雨の一日に世間と隔絶したように家ごもりし、ゆるやかな時間を過ごしていたせいかもしれない。
今日も無為な一日、だったかもしれないが、だからこそ、今の自分の関心事が見えて、ひとまずそれを何とかしたいと思うのかも。
時おり強い雨音に気づかされる。
ヤマザキマリさんの2冊目『ヴィオラ母さん』。
『水車小屋のネネ』(津村記久子)と、読書もぼちぼち進む。
無為の一日、飛行機雲を見あげていた。
東から西へ。くっきりと尾を引いて伸びる直線もあれば、もわもわと緩んで崩れひろがるもの3本、4本。
もったいないので少し歩きに出たら、いつもより30分ほど時間をオーバーして帰宅。おかげで夜はぐっすり! ぐっすりと寝込み過ぎてしまった。
今日は雨。あたたかな大寒だ。
「京の冬の旅」が開催されているのを地元のテレビニュースで知って、どこかへ行ってみないか?という話になった。「そうねえ」 しかし、どこへ?と思いつかなく、愛想なく応じてしまう。
『花鳥の夢』ではラスト、永徳が東福寺法堂の天井に龍の図の下絵を描いていた…。
しかし、明治14(1881)年の火事で東福寺は法堂を含む多くの伽藍を焼失してしまうことが、取り出した五木寛之氏の『百寺巡礼』第九巻の中で触れられていて、永徳の龍は現存しない。書き上げてもいないのだと検索してわかった。
「龍」を離れ、今一度本法寺を訪ね、等伯による巨大な涅槃図をレプリカであっても拝見してみたい。
〈等伯は、さりげなく自画像も描きこんでいる。一番左の沙羅双樹の根元に座り込み、緑色の僧衣を着て、頬杖をついている男〉だと、安部龍太郎氏は『等伯』の中で書き添えていた。見てみたいじゃないの。
そしてかつて信長の定宿だったと知って訪ねてみた妙覚寺で、永徳の墓に参ろうか。
やっぱりいつも通り、それぞれの興味で動くのが楽だと思えてくる。
と、今ここで思い出すのは、葉室麟さんが書いておられた言葉。
「幕が下りるその前に見ておくべきものは、やはり見ておきたい」(『古都再見』)
そうしてこのひと言がしきりに思われたのは、雨の一日に世間と隔絶したように家ごもりし、ゆるやかな時間を過ごしていたせいかもしれない。
今日も無為な一日、だったかもしれないが、だからこそ、今の自分の関心事が見えて、ひとまずそれを何とかしたいと思うのかも。
時おり強い雨音に気づかされる。
ヤマザキマリさんの2冊目『ヴィオラ母さん』。
『水車小屋のネネ』(津村記久子)と、読書もぼちぼち進む。