東本願寺では21日~28日まで報恩講が勤められています。
親鸞聖人は1162年11月28日、90年の生涯を終えられました。御祥月命日に勤められる法要を報恩講というのです。
阿弥陀堂、御影堂、そして御影堂門と、2003年から12年間にわたっての修復が終わって、再建(1895 明治28年)当時の姿を取り戻したとされます。
なんとも壮大な甍。午後のお勤めのお逮夜の準備が進んでいましたが、その間に御影堂の親鸞聖人の御真影に、この一年を物語りしていました。娘家族が日本に住むことになったこと、孫たちの健やかな成長の様子、そしてもう間もなくに第三子が誕生予定であることなど…。日本にやってきた当初の複雑だった心境も、祖父母としての役回りが与えられて行き来を繰り返すうちに、すべては賜りもの、授かったこの機会を大切にしようと思うようになっていったのです。家族であっても、生き方の違いなどは認めなくてはなりません。
御影堂から御影堂門を
そして今日25日は母の祥月命日でした。母の命の先を生かさせてもらっていることを思うと、何やら深い思いに満たされてきて…。
60人を超えると思われる僧侶による正信偈、念仏讃、和讃、回向。ありがたい、心やすらぐひと時になりました。
宗派によっても少しづつ異なることはありますし、
キリスト教とはまた違いも大きそうですよね。
父に連れられ子供の頃から、青春時代、嫁いでのち…と、今や機会あれば訪れる特別な場所です。
Reiさんのお宅にカクレミノがあると以前お聞きしまして覚えております。
実がならないのはどうしてでしょうね。
中日の連載小説で『親鸞』は丁寧に愛読していました。
元々知識がないうえに、亡夫はキリスト教でしたので。
祖母がお東さん云々・・・と言っていたのを
思い出しました。
寺社へお参りすれば、わからないながらも
清々しい気分になれます。
↓
隠れ蓑:我が家の隅っこに以前からありますが
実がなったのを見たことありません。
見逃すことはない位置に植えられています。
実のならないのは何故でしょう?
調べてみます。
報恩講は真宗門徒にとってはとても大切な仏事です。
母の祥月命日でもあったので25日にお参りでき、気持ちも落ち着きました。
夢を追うだけでは不安…、と歓迎だけでは済まなかったのですが、
彼らの決めたこと、覆す力もありません。
信頼しよう、と思います(笑)
御祥月命日に勤められる法要を報恩講というのですね。勉強になりました。
60人を越える僧侶たちの読経、心が清められる
思いがされたことでしょう。
私の息子たちもそれぞれに家庭を持っており、それぞれの生き方をしています。私も自分なりに
自分の生き方をしようと思います。