連日の日差しの強さに、午後からではウォーキングに出る意欲を失い、機会も減りがちになる。そこで、月も変わって6月になったのを機に、朝7時ごろからの1時間を歩きに出ることにしてみた。早朝も夕刻陽が落ちてからも無理、となると一番良さそうな時間帯にはなるのだが、果たして続くかどうか…。これからは日付の変わらないうちに寝ることにしよう、などとも歩きながら考えた。これまで何度も考えたことを、昨日も考えた。
朝は張り切って出るものの、このパターンに身体が慣れないのは当然だが、どうも身体が重く、疲れた感じで頭はすっきりしないまま一日が終わってしまう。思考力は低下、ぼんやりした頭で読書の午後となった。朝から歩いて昼寝では、ちいっと時間がもったい。昼寝などしてられようか? 朝のウォーキングを止めたほうがよいのかしら。することもしないで気も引ける、誰に?ってことだが…。にしても、眠気を催してくる時はなんとも快く、そのままひと寝入りはまことにもって極楽、心地よい時間。
ところで、「昼寝」を「午睡」と言いかえると、こちらは「優雅で品のいい言葉」になるという。ただ、ステテコをはいてウチワでばたばたのスタイルでは「午睡」とは言い難い。「午睡」というにはそれにふさわしいしつらえが必要だと谷川俊太郎さんが言われていた。海上でなら豪華客船のデッキの上での話だと。年齢や人生経験も無視できない要素で、二十歳そこそこの青二才に許すわけにはいかないとおっしゃる。せめて白髪の2本や3本はあってほしいのだそうな。
五十余年に及ぶ勤勉を続けて至った谷川さんの境地、楽しい昼寝考など読みながらうっかり! うとうとっと、ほんの少し…。
(グルコサミンの新聞折り込み広告より拝借)
最近は身体の目覚めが遅くなりました。
朝早くに歩きたいと思っても気力が起きてくれません。
朝は気持ちのいい、澄んだ空気が美味しいですよね。
子供に返って、お腹が一杯になると椅子に座ったままコックリコックリ。あの睡魔には勝てません。
ウォーキングもお昼寝も好きな時に出来るのは極上の幸せ、大事にしたいですね。
この1週間、ウオーキングを休んでいましたが
ものの見事に体の不調が現れました。
やはり、いつものパターンは崩せないと思いました。
早朝ウオーキングは、必ず、どこかで眠気が
きますね~私も昼間に眠るのはもったいない~と
思いますが、やはり早朝ウオーキングのパターン
が一番私には合っているようです。
今朝は雨でした。
この時間帯でもまだ気持ちよく歩けます。
朝のウォーキングをされる方のお話も多く、この季節こそ私もと思い出すのですが、長く続かないのです。
帰宅後、大事な午前中の時間が不足してきます。
できる時はしてと、好きな時に気分転換を兼ねてすればいいのでしょうね。
「睡魔」、とろ~んとしてくる心地よい響きです。
この時季は私もと思いますのに、慣れる前にいつも挫折してしまいます。
ryoさんには生活のリズムとしてパターン化されているのですよね。
帰宅後も動いてあっという間にお昼で座る間もなし。そして、うとうと~。これでは、なんてことない一日です。
暑い中を避けてとなると難しくて…。
お気持ち、落ち着かれましたか。
人を羨むのは教養人のすることではないのだそうですが・・・
まぁ私は教養人ではありませんので・・・
いつかご自分にあったウオーキングパターンを見つけてください。
今は梅雨近く、お花を愛でながら歩いてください。
梅雨に濡れた花の写真など見せてください。
はつらつとしていますね。
私はと言えば、気ままなので、、朝!と思ってもなかなか身体が付いていきません。
【雨ふれば傘をさす
お日さまあつければ
帽子をかぶる
足もとくらければ
あるかない】
と、昼から小雨の中を少しだけ歩いてきました。
濡れたアザミの花がそれはきれいでした。
午睡、これはやはりいい語感。体力の余る若い衆には使わせたくない言葉ですね。
これからの季節、何もしなくてもなんとなく体力を奪われる気がします。
歩くにしても歩かないにしても、ご自身の体調に合わせて、マイペースがベストなのでしょうね。
確かにいい語感、洒落た響きもあります。どちらでも昼に寝ることなのでしょうに。
幼稚園などで、みんなでごろ~んは「おひるね」だそうです。
言葉のニュアンス、いろいろですね。
少しでも毎日歩きに出ようと考えるためなのですが、毎日と思うこと自体続きません。
やはりマイペース、これが心身のバランスには最高のようです。