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雨の中を「ひと・まち交流館」まで出た帰り道、そのまま真直ぐ北へ歩いて三条を下がったところにある商業施設BAL内の丸善に立ち寄ることにした。
―ある日、こんな日記を書いてみたいと思った。
京都丸善ニテ
檸檬ヲ食ス
葉室麟さんが、こんなふうに書き出している随筆を読んで、私も氏と同じように〈書棚を見てまわり、新潮文庫の『檸檬』を買〉った。氏はさらに〈表紙の黄色い檸檬のデザインが素敵だ〉と続けていた。
でも、ここで思った。表紙に見たデザインは氏と私とで同じものだろうか、と。今日私が買った文庫本は、丸善150周年記念となる限定復刻カバー(写真・左)となっている。
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丸善創業は1869年。京都には明治5(1869)年に開設されて以後、移転、閉店があって、明治40年(1907)に三条通麩屋町に再開設された。梶井基次郎の『檸檬』に登場してくるのはこの店になる。その後、河原町蛸薬師に移転した。私はここの店を利用していた。そして、2005年に閉店、10年後現在の地に移ってオープンした。
昨年度、150周年を記念して文庫初版のカバ―デザインが復刻された。とすれば、2017年に亡くなられた氏が買われたのはまた違うデザインだったことになり、右側のものかもしれない。作品の中の「私」は、八百屋で黄金色に輝く檸檬を一個だけ買って丸善に入り、棚から取り出して積み重ねた画集の上に置いて外に出る。
31歳で亡くなった〈梶井を偲びつつ、店内で檸檬をかじってみてはどうだろうか〉という氏の思いが、冒頭の日記のいたずらだ。氏は併設のカフェに入って、紅茶とレモンケーキを注文。そして日記にこう書けそうだ、と呼応するように2行で認め、終わる。
学生時代に読んだだけの『檸檬』。短編小説だから、文庫本には20篇の作品が収められている。1編のために買うか?と迷ったのだが買ってしまった。「檸檬買ったのここ」。友人と寺町通を歩いていて、彼女が突然指さしたことがあった。ここ、というのは梶井がレモンを買ったという八百卯という店だが、知っていたので「うん、うん」と応じたのを思い出した。
書棚探しましたが勘違いのようでした。
早逝したわりにはたくさん作品が残っていますね。
読みたくなって今アマゾンへ注文しました
三条を下がったところにある・・・>
京都の方らしい表現と思いました。
以前調べていまは知っていますが
上がる、下がる?変なのと思いました。
御所が起点になっていると記憶しています。
葉室氏の心の動きが、親しみを感じながら心にしみます。
短い短い小説ですが「檸檬」のほかに「桜の樹の下には」しか知らずにおります。
上ル、下ル、入ル、ですね(笑)
独特ですよね。私にもおおよその見当がついて、
これほどわかり易い、便利な表現もないなあと思うまでになりました。