京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 他を利する

2011年03月28日 | 日々の暮らしの中で
誰かがそばにいて苦しみの声を聞いてあげるということが、どんなに救いになるか。苦しみの声を聴く、音を観じる、即ち観音とは、苦しみをできるだけ共にし、その人の苦しみをできるだけ少なくしてあげることだ。観世音菩薩はどこにでもいる。人を救おうとの役割をした時、その人は菩薩になる。
…こんな事を説きながら立松和平氏は、「私は誰のためでも観世音菩薩になりたい」と、語られていた。(『遊行日記』)

              
先日、山田恵諦天台座主のお話をうかがう機会があった。
1895年兵庫県に生まれ、1974年に79歳で天台座主に就任された。92歳の時には比叡山宗教サミットを開催し、96歳で日本の宗教指導者として全日本仏教会会長に就任。1994年、98歳で亡くなられた。

昭和55年に来日されたローマ法王ヨハネ・パウロⅡ世は挨拶の中で、世界の宗教にもっとも適した言葉として伝教大師(最澄)の『己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり』をあげられたという。その法皇の言葉と精神に応えようと比叡山宗教サミットにお招きしたそうだ。
座主は、「能舞台に喩えれば天台宗は背景の松、舞うのは諸宗教の皆さんだ」と互いの融和を図り、宗教サミットを成功に導かれている。

           
「忘己利他」の精神。テレビを見ながら、新聞を読みながら、思わずもらい泣きなどしながら自分に何ができるかと思う時、この言葉を思い浮かべることも多い気がするこの頃。「態度で示さなくては」という座主の声が…。
「自らに問い返せ」、ある新聞記事の見出しが胸に突き刺さるようだ。
   
  気温が上がった京、ソメイヨシノが開花したという。




コメント (6)
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