京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 師走好日

2011年12月04日 | 日々の暮らしの中で

西本願寺の銀杏の木
       
法師の「師」説もあるらしい「師走」。法要の合間、出番のない時間帯には福岡国際マラソンの経過を気にしてテレビ画面に確認に走る姿が見られる。やはりこの説は正しいのかもしれない。誰でもせかされ気味に、これから一層あわただしさを増すのだろう。

今年は見頃がやや遅れたこともあって、師走に入った京の街で紅葉を楽しむことができた。

ふと立ち止まった目の先で、まさに「今が旬」と赤く染まった枝葉を広げたモミジのふた枝・三枝だけが、ふうわりとした軽やかさでかすかに揺れ動いているのに気付いた。午後も4時に近づいていた頃だったが、風はないと感じていたときだ。それなのに、そこだけが静かに息をしているかのように、肌で感じることさえないような風に乗って揺らめいていた。目が離せなかった。

例えば…、そう、幸せな気持ちをいっそう酔わすように誘い出す揺らめきだったか。自分の心が揺らしていたのか? 美しさと哀しみと…、などときたら川端文学の世界になってしまうが、そんな穏やかならざる世界でもない。ただホンの一瞬でも、日々の暮らしの中で忘れている何かを思い出したり感じさせてくれるひと時が貴く思えている。泣きたいほど美しい光景に接した瞬間だったようにも思い返されるのだ。

「人の運命の不思議さ。思えばいずこから来ていずこへ去るとも不明のまま、人はこの世にある限り、何者かの手に握られた運命の糸にあやつられて、ささやかな喜憂に心を躍らせたり沈ませたりしながら、生涯の旅路をたどっていく。」
寂聴さんの書き出しの一文が心に染む。やはりこれでは少々感傷的だ。紅葉の精でも忍び入ったかなあ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする