3月27日
デカン高原横断の旅もいよいよ大詰め。この日はバーダミからゴアまでひたすら移動。朝の7時に出発して
フロントガラス越しに日印友好などしながら。
途中ガイドが暇つぶしにアーンドラ・プラデシュ州の観光ビデオを見せると言う。期待しつつTV画面を見ていると登場したのはガイド氏とその家族。どこかのホテルの中庭を散歩する姿が延々と続く、しかもシタールの音楽つきで。なんだこりゃ、と思いつつ見ていると今度は州観光局のおばさんのスピーチが長々と続く。これはもしかして、と思っていると案の定、「それでは今年の最優秀ガイドの表彰です。」やっぱり、これが見せたかったのね~、と日本人全員苦笑。しかし本人は照れる様子もなく自分の姿にうっとりしている。その上翌日、「昨日のビデオ、どうだった?」とまで聞いてくる。
まさか「あんなもの見たくねーよ」とはいくら私でも言えないので、「うーん、なんか予想してたものと違ったね。あれはホームビデオでしょ」と言うと、「もちろん、僕が特別に編集したんだ。僕のことをもっと知りたがるお客さんが多いからね。」 インド人にはかなわん。
西ガート山脈を越えると急に広葉樹や竹などの背の高い木が増え、緑が多くなる。
そして
アラビア海。
ゴアのホテルには午後6時到着。
今回最初にして最後のリゾートホテル。
3月28日
朝4時に目が覚めた。胃が痛い。おととい辺りから連日のカレーの食べすぎで胃が疲れているのを自覚していたのだが、昨晩は久しぶりの華やかなサラダとデザートのビュッフェでつい意地汚く食べてしまったのだ。後悔先に立たず、その後はしばらくトイレ通い。
出発の頃にはだいぶおさまったが、どうも脚に力が入らない。
午前中はゴアの観光、教会を見るだけなので外で座って待っていようかと思ったが、日陰はないし中の方が涼しそうだ。
と言うわけでふらふらと付いていったボム・ジェズ教会。
ここで有名なのはなんと言ってもフランシスコ・ザビエルのご遺体。立派な大理石と銀の棺に眠っているが、前面がガラス張りになっているので黒く変色した頭などがわずかに見える。
中国の広州で亡くなったザビエルの遺体は湿度の多いところにもかかわらず、耳の一部以外腐ることがなく、自然にミイラになったのだそうだ。そう言えばブータンの先代のジェイ・ケンポも亡くなった後いつまでも腐らず、そのため火葬はやめてミイラを埋葬したと言っていた。徳の高い人は死んでも腐らないらしい。
道を渡って大聖堂
それに隣接するアッシジ・フランシスコ教会
別に教会が嫌いなわけではないが、ずっとヒンドゥーの世界に浸っていたのでどうも気が乗らない。
ゴアは観光をするよりもやはりビーチやホテルでだらだらしたり、町をぶらぶら歩いたりする所だろう。
走るバスの窓からだったのでうまく写真が撮れなかったが、町並みの独特な色合いや建物は楽しそうだった。
昼食はポルトガル料理。スープだけいただいたが、ちゃんとカルド・ベルデ(じゃがいもとキャベツのスープ)になっていた。
この後は国内線でムンバイへ。大好きなジェット・エアウェイズ、機体もスッチーのお姉さんたちもきれいです。正味40分弱のフライトなのにちゃんと温かい食事を出すところもすごい。
ムンバイには15時着、今夜のKL行きは23時30分。たっぷり時間があるので最後にお買い物、といってもムンバイの市内まで行くと大変なので飛行場近くのデパートとマーケットへ。
野菜が豊富でどれもおいしそう。
花輪やさんはどこの町にもたくさんあった。神様に捧げるマリゴールドとジャスミン。
最後は空港近くのハイヤット・ホテルで夕食を食べて時間通り機内へ。
KLで乗り換えて成田。
3月29日 19時到着。
チェンナイからヴィジャヤワダまで列車移動480キロ、ヴィジャヤワダからゴアまでバス移動2050キロ。
これまで経験した中でたぶん一番暑い旅行だったけれど、大好きな壁三昧できて楽しかった。
同行者の皆様、ありがとうございました。
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デカン高原横断の旅もいよいよ大詰め。この日はバーダミからゴアまでひたすら移動。朝の7時に出発して
フロントガラス越しに日印友好などしながら。
途中ガイドが暇つぶしにアーンドラ・プラデシュ州の観光ビデオを見せると言う。期待しつつTV画面を見ていると登場したのはガイド氏とその家族。どこかのホテルの中庭を散歩する姿が延々と続く、しかもシタールの音楽つきで。なんだこりゃ、と思いつつ見ていると今度は州観光局のおばさんのスピーチが長々と続く。これはもしかして、と思っていると案の定、「それでは今年の最優秀ガイドの表彰です。」やっぱり、これが見せたかったのね~、と日本人全員苦笑。しかし本人は照れる様子もなく自分の姿にうっとりしている。その上翌日、「昨日のビデオ、どうだった?」とまで聞いてくる。
まさか「あんなもの見たくねーよ」とはいくら私でも言えないので、「うーん、なんか予想してたものと違ったね。あれはホームビデオでしょ」と言うと、「もちろん、僕が特別に編集したんだ。僕のことをもっと知りたがるお客さんが多いからね。」 インド人にはかなわん。
西ガート山脈を越えると急に広葉樹や竹などの背の高い木が増え、緑が多くなる。
そして
アラビア海。
ゴアのホテルには午後6時到着。
今回最初にして最後のリゾートホテル。
3月28日
朝4時に目が覚めた。胃が痛い。おととい辺りから連日のカレーの食べすぎで胃が疲れているのを自覚していたのだが、昨晩は久しぶりの華やかなサラダとデザートのビュッフェでつい意地汚く食べてしまったのだ。後悔先に立たず、その後はしばらくトイレ通い。
出発の頃にはだいぶおさまったが、どうも脚に力が入らない。
午前中はゴアの観光、教会を見るだけなので外で座って待っていようかと思ったが、日陰はないし中の方が涼しそうだ。
と言うわけでふらふらと付いていったボム・ジェズ教会。
ここで有名なのはなんと言ってもフランシスコ・ザビエルのご遺体。立派な大理石と銀の棺に眠っているが、前面がガラス張りになっているので黒く変色した頭などがわずかに見える。
中国の広州で亡くなったザビエルの遺体は湿度の多いところにもかかわらず、耳の一部以外腐ることがなく、自然にミイラになったのだそうだ。そう言えばブータンの先代のジェイ・ケンポも亡くなった後いつまでも腐らず、そのため火葬はやめてミイラを埋葬したと言っていた。徳の高い人は死んでも腐らないらしい。
道を渡って大聖堂
それに隣接するアッシジ・フランシスコ教会
別に教会が嫌いなわけではないが、ずっとヒンドゥーの世界に浸っていたのでどうも気が乗らない。
ゴアは観光をするよりもやはりビーチやホテルでだらだらしたり、町をぶらぶら歩いたりする所だろう。
走るバスの窓からだったのでうまく写真が撮れなかったが、町並みの独特な色合いや建物は楽しそうだった。
昼食はポルトガル料理。スープだけいただいたが、ちゃんとカルド・ベルデ(じゃがいもとキャベツのスープ)になっていた。
この後は国内線でムンバイへ。大好きなジェット・エアウェイズ、機体もスッチーのお姉さんたちもきれいです。正味40分弱のフライトなのにちゃんと温かい食事を出すところもすごい。
ムンバイには15時着、今夜のKL行きは23時30分。たっぷり時間があるので最後にお買い物、といってもムンバイの市内まで行くと大変なので飛行場近くのデパートとマーケットへ。
野菜が豊富でどれもおいしそう。
花輪やさんはどこの町にもたくさんあった。神様に捧げるマリゴールドとジャスミン。
最後は空港近くのハイヤット・ホテルで夕食を食べて時間通り機内へ。
KLで乗り換えて成田。
3月29日 19時到着。
チェンナイからヴィジャヤワダまで列車移動480キロ、ヴィジャヤワダからゴアまでバス移動2050キロ。
これまで経験した中でたぶん一番暑い旅行だったけれど、大好きな壁三昧できて楽しかった。
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