Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

スリランカでアーユルベーダのはずが 2

2007-10-17 00:29:48 | 南アジア
2004年12月26日

この日も朝からがっつり朝ごはん。
 体質に合うと処方された豆スープ、フルーツ、スリランカ風のパンケーキなどをおいしくいただく。

食後は昼前にアーユルベーダの予約が入っていたので外出せず、ベランダでのんびり本を読んでいた。
と、10時ごろのこと、何やら妙な気配を感じて目を上げた。ベランダからはヤシの木に隠れて海が見えないのだが、波の音がやけに大きいのだ。おかしいと思って下をのぞくと、海岸に出ていた人たちが大慌てで駆けてくる。そしてその後から海水がどんどん庭に押し寄せてくるのが見えた。ちょうど波が寄せてくるような感じだが、一向に引かずにひたすら寄せてくるのだ。

そのうちにビーチチェアが流れてきて、さらに下のビーチコテッジの扉やガラス窓の割れる音も聞こえてきた。水は1メートルほどもあがっただろうか。ベランダからのぞく我々は呆然と見ているしかない。


もうおわかりだろうが、スリランカを襲った大津波の第一波である。が、この時点では誰も何が起こっているのかわからず、10分も経つと水が引いたのでコテッジの宿泊客やホテルの従業員は片づけを始めた。

あれは一体なんだったんだろうと、3階の部屋から高みの見物をしているうち、何分後だろうか、また波が寄せてきた。今度は最初の時より水が多く、庭で逃げ遅れた従業員は木に登って必死に枝にしがみついている。

この時になってようやく我々は津波じゃないかと気がついた。しかしその前に地震を感じたわけでもなく、二波も来ればもう終わりだろうぐらいにしか思っていなかった。

だからまた波が引いてホテルの人が外に避難するようにと言ってきたときも、きっと人数確認をするだけだろうと思ってカメラと部屋の鍵だけ持ち、財布も携帯も部屋に置いたままでおっとり降りていってしまったのだった。

階下に降りるとホテルの人は宿泊客を敷地の外に誘導する。
 あれ~、どこに行くんだろうと思っているうちに後ろから突然、「走れ!」と叫ぶ声がする。あまりにも切羽詰った声なので後ろを確認することもなく走り出すと、すぐにミニバスがやってきて乗れと言う。乗り込んで何メートルも走らないうちにすぐにバスが止まってしまった。おや、と思って外を見ると回りはいつの間にか一面の水。しかも刻々と水かさが増している。ドアを開けようとしてももう開かず、今度は「窓から出ろ!」窓際に座っていた私は考える暇もなく窓から外に飛び降りた。水は胸の下まで来ている。それでもカメラは放さず頭上に上げて、すぐ脇に建つ2階建ての家まで水を掻き分けながら歩いた。

自身の津波体験の中ではこの場面がほとんど唯一「やばい」場面だった。が不思議と恐怖は感じず、やけに五感が研ぎ澄まされたような感じで周りがはっきり見えたと思う。こういう場面ではパニックにならないらしい。

流されそうな友人の腕をつかんで家にたどり着き、床上浸水している部屋を通って2階のベランダへ避難。
 乗ってきたバスは半分水に浸かり、逃げ遅れた人たちが数人、屋根に上っている。彼女たちこそ怖かっただろう。

周りでは一緒に逃げてきたリゾートの女の子たちが怖くて泣いている。津波なんてもちろん聞いたこともなかったのだ。

この家にはどのくらいいただろう。おそらくそれほど長い時間ではなかったと思う。ようやく水かさが減ってきたので泣いているお家の人たちと別れ、国道へ向かう。

こんな中でも記念写真を撮っていたのだから不謹慎なものだ。

サンダルが壊れ、はだしで苦労しながら小高いところを走る国道にたどり着く。と、海岸から少し離れたここでは津波があったことに誰も気がついておらず、いきなり半裸の外国人が大勢逃げてきたのでみんなびっくりしている。それはそうだろう、アーユルベーダの施術中で裸にシーツを巻きつけただけの人もたくさんいたのだから。

そうこうしているうちに車が手配され、近場では一番高いと思われる丘の上のお寺に連れて行かれた。ちょうど日曜のお祭りの日で、大勢集まっている人たちは私たちの話にびっくり。ここで待っている間にまた一度津波がやってきたらしく、何も見えなかったが境内が一瞬パニック状態になった。おそらくこれが一番の被害をもたらした波だと思われるが、ホテルの的確な判断のおかげで本当に怖い思いはせずにすんだ。

ホテル側の対応はこの後がまたすごい。しばらくお寺で待った後、またバスが手配されて避難所へ連れて行ってくれたのだ。

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コメント (4)
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