北海道新幹線の直ぐ脇を延々と歩き続け、次には田植え前の水田地帯を往き、最期は赤松街道を往くというルートはある意味で退屈だった。函館市のウォークに続いての12.5キロはお爺にはけっこう負荷のかかったものとなった。
5月11日(土)、函館市のヘルシーウォーキングを午前11時過ぎに終えた私は、参加者割引を利用して函館の「ハセガワストア」の名物「焼き鳥弁当」を頬張り、七飯町に移動した。
七飯駅からウォーキングを開始したのは12時35分だった。
※ 小ぶりながらも瀟洒に見える七飯の駅舎です。
駅から直ぐにJR函館本線と並行するように走る北海道新幹線を目指し、新幹線のコンクリート橋の下を潜り、新幹線と並行して走る道路へ出た。そこは七飯町ではなく北斗市の市域ではないかと思われた。
※ 七飯駅からそれほどの距離でないところに北海道新幹線が走っていました。
線路は写真のように全体がコンクリートで嵩上げされたところに走っていました。
新幹線が走るところ(新函館北斗駅の近く)は土地が低いのだろうか、往く手の右側は見渡すかぎりコンクリートの橋脚で嵩上げされたところを走っていた。一方、左手には広大な水田地帯が広がっていた。ところがその水田と思われるところには田植え時期が近いと思われるのに水は張られていないばかりか、水田に水を引く水路にも一滴の水も見られなかった。「えっ?今年は稲作をしないのかな?」と思った私は、帰宅してから北斗市に問い合わせた。ところが担当者の回答はどうも要領を得ないものだった。「これから水を入れるのかもしれないし、他の作物を作るのかもしれない」と…。見たところ苗を育てるビニールハウスも見当たらなかった。あるいは転作するのかもしれないと思いつつも、疑問が残ってしまった。
※ 線路の反対側には水も張っていない広大な水田(?)が広がっていました。
およそ3キロの新幹線沿いのウォークの中、新幹線が一度通過した。しかし、姿が見えたのは新幹線列車の屋根の部分のみだった。私はまだ北海道新幹線に乗ったことはないが、乗客はおそらくコンクリートの壁を見るのみではないか、と思われた。
※ コンクリート壁の上辺をよく見てください。青色の新幹線の屋根が見えます。
「新函館北斗駅」が視界に入ってきたところから右折して、今度は七飯町の道の駅「なないろ・ななえ」を目ざしてのウォークとなる。こちらの方は視界の両側は水田地帯が広がるばかりの単調な風景がやはり3キロくらい続いた。
※ 広大な畑地帯に忽然と現われた(?)新函館北斗駅周辺を遠望しました。
右手の建物が新函館北斗駅です。
※ 北海道新幹線の線路わきを離れ、国道5号線に向かう道路です。
行き当たったところが札幌⇔函館間を結ぶ国道5号線である。そこに道の駅「なないろ・ななえ」があった。
※ 国道5号線沿いに建つ七飯の道の駅です。奥の黒い建物。
今回は立ち寄ることをバスしたが、道の駅に併設するように「THE DANSHAKU LOUNGI」という施設が建っている。私は以前に訪れた時に立ち寄っているが、七飯町の近代農業の功労者である川田龍吉男爵がアメリカから輸入した農工具などを展示し、近代農業の歴史や当時の生活様式を伝えるミュージアムになっている施設となっていてなかなか興味深い。
※ 道の駅の隣に建つ「THE DANSHAKU LOUNGI」です。
そしてコースは長い長い赤松街道を往くことになる。赤松街道とは、国道5号線の七飯町の町域部分に植わっている赤松の並木を指すものである。その由来は、明治9(1876)年に明治天皇が七飯町を行幸されたことを記念して移植され、並木となったそうである。
※ 赤松の並木が健在だったころの写真です。(ウェブページから拝借)
私は以前に何も知らずにこの通りを車で走って大感激したものである。見事な赤松の並木は札幌などでは見ることのできない景色だったからである。ところが、私が歩いた七飯駅までの北半分は、すでに当時の面影を欠いたものになってしまっていた。それは赤松が街の発展の妨げとなるため一部が伐採されたり、あるいは病気のため枯れてしまったりしたのか、欠けているところが目立っていた。私が以前に目撃したところは、あるいは町の南側部分だったのかもしれない。いずれにしても往年のような見事な赤松並木を見ることはできなかったのはちょっと残念だった。
※ 私が歩いた中で、最も状態の良かったところの赤松街道の様子です。
疲れがピークに達した赤松街道歩きはかなりきついウォークだったが、約2時間40分で完歩することができた七飯町ウォークだった。
◇ウォーク実施日 2024年5月11日(土)
◇歩いた距離 12 .5 km
※ 昨日、PCに取り込むことのできなかった写真ですが、なんとか取り込むことができました。そこで昨日アップしたものにも写真を貼付することができましたので、できればご一覧ください。