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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

映画 許されざる者 №294 

2020-12-10 18:26:20 | 映画観賞・感想

 №293に続いての西部劇である。しかし本作はマカロニウェスタンとは一線を画す、本場アメリカを舞台としたものである。1880年代のワイオミングにおいて悩めるならず者マニーを演ずるクリント・イーストウッドの渋さに痺れた。

       

 BS映画にはまっている。コロナ禍の今、撮り貯めたBS映画を深夜に見入るのが何よりの楽しみになっている。

 映画は1992年、制作・監督・主演のクリント・イーストウッドが62歳の時の作品である。この映画によって監督イーストウッドの評価が米国映画界においてが決定づけられた、と多くの映画評論家が評する映画である。映画はこの年度のアカデミー賞の作品賞・監督賞を受賞している。   

 映画のストーリーは、かつては無法者として多くの者を殺害し悪名を轟かせたマニー(クリント・イーストウッド)は、妻の助言もあり更生し静かに農場で暮らしを立てていた。しかし、妻に先立たれ暮らしは貧しく二人の子どもを不憫に思うマニーだった。そんなマニーのもとに賞金稼ぎの話がもちこまれた。一度は断ったマニーだったが、悩みながらも昔の世界へ戻っていくマニーだった…。

   

 これ以上の紹介はネタバレとなってしまうので控えることにするが、私は題名の「許されざる者」に興味を抱いた。原題は「Unforgiven」で直訳すると「許されていない」という形容詞で、邦題も直訳そのものと言える。それではイーストウッドはなぜ「Unforgiven」という題名を付けたのだろうか?ネット上に次のように解説する文章に出合った。

『許されざる者』は、「勧善懲悪」などとは程遠い世界観で綴られる。保安官は、己の町を守るという「正義」のために、“暴力”を行使していた。しかしそれは、娼婦たちの人間としての尊厳を踏みにじり、マニーの相棒の命を奪うこととなる。保安官にとっては「正義」だが、マニーにとっては、「悪党め」と吐き捨てるしかない行為である。「正義」と「悪」の境界線など、あくまでも主観的で、曖昧なものなのだ。そして“暴力”は、どこまでも連鎖していく…。

 西部劇とはいえ、西部劇全盛の時代の西部劇はアリゾナ、コロラドなどアメリカ南西部を舞台としたいわば勧善懲悪で語られた世界だった。しかし、そうした映画にいわば飽きが出てきた時代に本作は登場した。しかも舞台はアメリカ南西部ではなくもっと北のアメリカ北西部にあたるワイオミング州である。西部開拓時代には西部劇全盛のころのようなきれいごとだけではなく、“暴力”がまかり通る語られざる醜い世界が存在していたことをイーストウッドは世に知らしめようとしたのかもしれない…。

   

 主演クリント・イーストウッドの悩みながらもニヒルに冷酷に殺人を実行する演技が終始画面に緊張感を与え続けた映画だった。



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