北海道の結婚披露宴というと一般的に「会費制」で行われることが大きな特徴だと言われている。他地域では見られないこのようなしきたりが、どのような経緯で定着したのか?北海道の風俗を研究している専門家からお話を聞いた。
1月20日(金)夜、歴史的建造物(国指定重要文化財)である「札幌市豊平館」において豊平館講座が開催され、参加した。この日のテーマ、講師は「北海道の結婚式」と題して北海道博物館の尾曲香織学芸員が講師を務めた。
※ まさに歴史的建造物の室内においての講座でした。
※ 講師を務めた北海道博物館の尾曲香織学芸員です。
尾曲氏は北海道の出身ではないが(茨城県?)、北海道の風俗、特に結婚式や葬式など人生儀礼について調査・研究を進めているという。
講座においては 婚姻と結婚の違いなどの前提についてもお話があったが、ここではそれらは省略し、結婚する両者が社会的に承認を得る場としての「披露宴」の在り方について、本州と北海道の違いについて話された点に絞ってレポしたい。
※ 昔の婚家においての結婚式(披露宴)の様子です。両端は仲人夫妻です。
本州も北海道も明治時代以降、結婚が社会的に承認を得る場として費用をたくさんかけて多くの人を招いて行われる場合が多かったようだ。そのため昭和に入ってから、農山漁民に対する「生活改善普及事業」(昭和23年)とか、全国泯国民を対象とした「新生活運動」(昭和30年)などが声高に叫ばれるようになったという。そうしたことの影響もあり、かつては婚家において何日も披露宴を行っていたものが、公民館などの公的施設を会場として使用するようになった。しかし、本州各地においてはあくまで両家が招待する形は変わらなかった。
※ 男たちは酒肴で接待され…
一方、北海道でも生活改善の動きは各地にみられたが、尾曲氏は陸別町の事例を報告されたが、陸別町においては昭和35年頃から会費制が普及し始めたという。その形は、①婿が嫁を家まで迎えに行く。②神社か、公民館の小別屋で結婚式。③神主が公民館まで来たり、仲人が説明をしながら三々九度を行ったりした。④そこから場所を変えて、会費制で披露宴を行った。というような形だったようだ。
さらに会費制結婚式は徐々に定着し、昭和45年頃の陸別町では次のような「祝賀会の 心得について」という文書が出回ったという。その内容は、「発起人会」が組織され、発起人会では次のようなことを協議し、披露宴を主導してそうだ。①開催場所の選定。②二回乃至三回開き連絡を密にする。③会場日時の決定。④会費制度のため内容を検討する。⑤両家への負担・引物・酒肴料。⑥役員割。⑦発起人の代表選定。など…。
※ 婦人たちは賄いに駆り出され…。
まさに現代の北海道の会費制による結婚披露宴を実施する原型を見て取ることができる。
私は今、現代の北海道の結婚披露宴の原型と表現したが、実際のところここ10年ほどはそうしたおめでたい席に出席したことはない。私が結婚した時も、私の職場で後輩が結婚した時も、形は陸別町の例と大きな違いはなかったが、はたして現代はどうなっているのだろうか?そのことについては知る由もないが、おそらく大きくは変わっていないのではないか、と思われる。それは会費制という制度が、両家への負担も少なく、伝統をあまり気にしない北海道人にとっては極めて合理的な制度だから、と思うからである。
本州人である講師の尾曲氏はやはり違和感がある、ということだったが…。