田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

縄文雪まつり 縄文リレートーク

2025-02-10 19:14:43 | イベント
 縄文…、と聞くと俄かに血が騒ぎ出す。何せ、一昨年、一昨々年の2年間をかけて世界遺産に登録された「北海道・北東北縄文遺跡群」の構成資産である全16施設を訪れた私としては訪れなければならないイベントだった。
 
      

 昨日、一昨日の2日間の日程で、チ・カ・ホ北3条交差点広場において「縄文雪まつり~縄文 LOVE 大集合!」というイベントが開催されました。
 イベントは、関連展示、ワークショップ、物販と盛りだくさんでしたが、注目は二日間とも縄文遺跡に関わる研究者や施設の職員などが、リレー形式でトークを繰り広げたことでした。

   
   ※ 展示コーナーや物販コーナーにはたくさんの市民が押し掛けていました。

 私は全日程に参加することはとても叶いませんでしたので、昨日(2月9日)の午後、三つのリレートークに耳を傾けました。そのテーマとスピーカーは…、
 ◆THE JOMON:縄文と海    札幌国際大教授 越田賢一郎氏
 ◆THE JOMON:縄文と老人   道教育庁文化財・博物館課 藤原秀樹氏 
 ◆THE JOMON:「老人と海」の狭間で 道庁縄文世界遺産推進室 村本周三氏  


  こうして三つテーマを並べてみると、お気づきになったと思われますが、ヘミングウェイの代表作「老人と海」を思い浮かべる方が多いのではと思われます。事実、主催者はその語感が似ていることから、敢えて「老人と海」にこだわったテーマ名としたとのことでしたが、上記二つのテーマは小説とはまったく関りがなく、三つ目は敢えて「老人と海」に関連付けた話題を取り上げたということでした。

    
    ※ リレートークで登壇した札幌国際大の越田教授です。

 「縄文と海」に関しては、縄文時代にはすでに北海道と本州は海で隔てられており、ニホンザル、イノシシ、ツキノワグマ、モグラなどは北海道に進出することはなかったが、霊長類(人間)だけは海を越えて北海道に住み着いたと話されました。
 また、交易や環境も海を越えることができたとし、土器や網の利用、さらには貝塚なども本州でも北海道でも同様のものが発掘されているということです。
 そしてヒスイやアスファルト、黒曜石なども本州と北海道の間で相当に行き来していたということです。
 さらに海に関しては、千歳市の「キウス周堤墓群」のようにかなり内陸に位置しているところも、地球温暖期(1万6千年前から6千年前くらい)には、海から相当に近いところに位置していたのではないかと指摘されました。
 こうしたことから、縄文時代は海の存在が縄文人の生き方そのものを左右していたと越田氏は私たちに伝えてくれたのだと私は理解しました。

 続いて「縄文と老人」については、興味深いお話を聴くことができました。
 まず、縄文人の平均寿命は最近の研究から46.5歳と推定されるとのことです。詳しいことはメモし切れませんでしたが、最近の研究で腰部の骨から推定する方法が開発されたということです。
 そして講師の藤原氏は「縄文人は高齢者に温かく接していた」と推定しました。それは縄文人が定住生活を始めたことが関連するそうです。縄文時代以前は狩猟生活が主であったため、高齢者は狩猟に不向きとして敬遠されましたが、定住生活に移行したことにより序列や階層等が形成されていったと推定しています。これは本州の南地方とは異なるそうです。
 何故かというと、北海道(北東北も含む?)は食料資源に恵まれていたことが挙げられるそうです。北海道においては冬を迎えるにあたり、大量の保存食づくりをしなければなりません。それは当然共同作業となります。その際の指導役は経験豊かな高齢者が担うことになります。
 また、収穫祈願や収穫祭などのお祭や儀式において高齢者が呪術役を果たしたとも考えられます。こうして、高齢者は集落の中で敬われる存在になったと藤原氏は解説されました。
 そう、類推されるのは高齢者の墓には副葬品が多いことが特徴だということでした。

 三番目の「『老人と海』の狭間で」と題するトークでは、敢えて「老人の海」中で使われたワードに拘って縄文時代とすり合わせるという高等芸(?)に挑みました。
 まず「老人と海」の舞台はメキシコ湾流が流れる暖流ですが、縄文時代も前記したように温暖期を迎えていました。ですから北黄金貝塚では、今では獲ることのできないハマグリの貝の化石が貝塚に混じっているそうです。
 また「塩」に関して、縄文時代には食品の味付け濃い塩水を作る採鹹(さいかん)という技術も「老人と海」と共通点が観られるということでした。

    
    ※ 物販コーナーには写真のような土偶の複製品が多数陳列されていました。

 以上、私がメモできたことのみをレポしましたが、あるいは事実誤認のところがあるかもしれません。そうした点があったとしたらご容赦ください。学術的には何の意味もないレポですので…。
 そのことは別として、「北海道・北東北縄文遺跡群」が世界遺産に登録されたことで、縄文時代に対する研究も大いに進展していることを窺わせてくれました。
 これからも縄文時代に興味を抱き続けたいと思っています。




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