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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

DVDフォーラム「五木寛之の百寺巡礼」

2024-11-26 16:55:21 | 「めだかの学校」関連
 飛鳥寺、薬師寺、大乗寺、那谷寺と作家でエッセイストの五木寛之が巡り、そして語る。百寺のほんの一部にすぎないが、それぞれにお寺を訪れ、仏教に深く傾倒する五木寛之の目から見た印象を彼の言葉で紡ぎ出す…。


 
 昨日(11月25日)は私が所属する「めだかの学校」の11月2回目の活動日だった。
 今年度下半期は、「めだか会議 放談会」と「DVDフォーラム」を並行して実施している。昨日は「DVDフォーラム」の日だったのだが、この「DVDフォーラム」は会員の一人であるK氏が所蔵する大量のDVDシリーズの中から、今期はシリーズ物の一編だけを視聴し、来期はその中から一つを選びシリーズ全編を視聴しようと計画している企画である。
 ちなみにそのシリーズとは、①「ヒット曲にのせて贈る青春歌謡映画」、②「五木寛之の百寺巡礼」、③「探検ロマン世界遺産」、④「こころの名山 日本霊山紀行」、⑤「中島みゆき『夜会』シリーズを見る・聴く」の五つのシリーズである。
 昨日はその中の「五木寛之の百寺巡礼」を視聴したということなのだ。今回巡ったお寺は前述した「飛鳥寺(奈良県明日香村)」、「薬師寺(奈良県奈良市)」、「大乗寺(石川県金沢市)」、「那谷寺(石川県小松市)」のそれぞれが名刹、古刹に属する四つのお寺だった。
  「飛鳥寺」は日本最古の仏教寺院と云われ、蘇我馬子が建立したとされる古刹である。現在は創建当時とは違い規模が縮小し、明日香村にひっそりと残存している寺といった印象だったが、派手なところがなくひっそりと建っている佇まいが印象的だった。
 一方、「薬師寺」の方は、奈良市の中心にあって680(天武天皇9)年に創建され、特に東塔は1300年以上経った今も創建当時の姿を残しているとされ世界遺産にも登録されていることから非常に有名なお寺の一つとなっている。
※ 薬師寺全景です。左が東塔、右側は再現なった西塔だと思われます。

 「大乗寺」は曹洞宗のお寺として、座禅を修行するお寺として有名である。鬱蒼とした森に囲まれた寺院は古刹としての雰囲気も十分である。
 そして最後は高野山真言宗の寺である「那谷寺」であるが、那谷寺は深山の中に立地し、洞窟などが点在していることから「奇岩遊仙境」とも称され、境内の景観が独特である。宗教施設が深山幽谷に立地し、自然が造った形状を巧みに利用する例はよくあることだが、深山と見えた那谷寺は調べてみると意外に市街地に近いところにあった。あるいは「那谷寺」が有名となり市街地が形成されたのかもしれない?
 
 ※ 那谷寺はこうした地形を利用した建物が境内全体にいたるところに建てられています。

 視聴後の会員の感想でも、この「那谷寺」に興味を抱いた人たちが多い印象だった。
 私はお寺そのものより、五木寛之さんその人に注目してみた。というのも、五木氏は大学(早稲田大学)を学費未納で抹席された後、マスコミ界の片隅で生活しながら「さらばモスクワ愚連隊」で作家デビューを果たした。その後「青年は荒野を目ざす」など、どちらかというと中間小説的な作家だと私は見ていた。もっとも私は「青年は荒野を目ざす」を高校時代に読み、それに触発されて学生時代にヨーロッパ・アジアを彷徨する旅に出ることになるのだが…。
       
 その後も、「艶歌」とか「青春の門」などを著し人気作家の一人と目されていたのだが、50歳近くになって龍谷大学で仏教を学び始めたと聞いて「ヘェー」と思っていた。するとそれから五木寛之さんの作風が変わってきたようだ。エッセイなどで仏教に関わる評論などを書き始め、そして「百寺巡礼」である。私は五木寛之さん自身が自らの生き方、そして人としてのあるべき姿を深く思考しはじめた結果なのだろうと思った。
 最近の週刊誌などに寄せるエッセイなどでは、そのことがさらに深化しているように感じている。
 ボーっと生きている私のような者に対して五木氏は静かなるメッセージを伝えてくれていると私は受け止めたい。

※ 掲載した写真は全てウェブ上から拝借しました。


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