「XVI」とは、ローマ数字で「16」を表します。つまり私たちにとって「札響の第九」を聴き始めてから16年目ということになるのです。今や完全なる年末行事と化してしまった2024年の「札響の第九」を4人揃って楽しみました。
12月21日(土)夕刻、午後5時スタートの「札響の第九」を今年も友人たちと一緒に楽しむことができました。
毎年触れていることですが、私たちにとって「札響の第九」は “習い性” となったようなもので、16年間も継続して聴いていると「札響の第九」を聴かねば年を越した気になれないのでは?と思ってしまっているところがあるようです。
考えてみると、私たち4人のうち、私を含めて3人は退職を機に札幌に居を定めた集まりなのです。そして出会った翌年に「第九でも聴いて年を越しましょうか?」と提案したのを機に、それが今日までそれが続いているということなのです。
「札響の第九」では、本編であるベートーヴェンの「交響曲第9番ニ短調『合唱付き』」の前にいつも小曲が演奏されるが、今年はフィンジ作曲の「武器よさらば」が取り上げられた。今回この曲が取り上げられた理由について書かれたものをどこかで見た記憶があるのだが、それによると現在のきな臭い世界情勢に対するメッセージ的意味合いがあるとしていたようです。曲はテノール歌手(宮里直樹)がアリアを披露したのですが、その旋律がどこか物悲し気に聴こえてきた。「第九」の前奏曲的な意味合いが感じられた一曲でした。
さて、肝心の「交響曲第9番ニ短調『合唱付き』」の方ですが、もう私としては表現する何物もないのですが、ブログに投稿することを意識して、演奏を聴きながら簡単なメモを書きながら演奏に聞き入りました。
※ 演奏会当日に配布されたプログラムの表紙です。
そのメモによると、〈第一楽章〉入りのヴァイオリンの囁くような調べを聴くとぞくぞくする。またこの季節がやってきたなぁ、と…。そして第一楽章の後半の力強い響きが素晴らしい。〈第二楽章〉きれいな弦の響きが印象的。〈第三楽章〉前半の印象はやや薄い。第三楽章の最後半、チェロとコントラバスによる主旋律が重低音のように響き、それが他の楽器を誘い、次第に大きな響きになっていき、第四楽章の合唱への期待感を高めてくれる。そして〈第四楽章〉それまで約50分間、じっと座ったまま出番を待っていた4人のソプラノ、アルト、テノール、バリトンの4人の歌手と、100人を超える大合唱団が高らかに高らかに「歓喜」の歌を歌いあげる様はまさに圧巻!
と私のメモは記されていた。私にとって、クラシック音楽の感想を評するのはこれくらいがせいぜいです。例えのその感想が稚拙ではあっても、その人個々人が演奏に対して満足感を抱くことができれば、それでいいのだと私は思っています。
おっと、指揮を担当された川瀬賢太郎氏についても触れておかねばならない。川瀬氏は現在札響の正指揮者です。スラリとした長身で指揮ぶりも見映えする方ですが、調べてみると現在39歳と、指揮者としてはまだ若手に属するのではないでしょうか?その指揮ぶりは若々しく、楽団員をぐいぐいと引っ張っていく躍動感に満ちた指揮ぶりがとても印象的な方でした。
今年も「札響の第九」に満足感を抱いた、私たち4人はいつものように近くのホテルに移動し、「また、今年も4人で聴くことができましたねぇ」と互いの健康を喜び、ささやかな忘年の宴を催したのでした。