倉本聰の原作・脚本、豪華出演陣、そして小樽市でのロケと魅力いっぱいの映画だったのだが、観終えた後に何故かもやもや感が残ったのも事実だった…。それが何だったのか?振り返ってみたい。
昨日(12月18日)午後、ユナイテッドシネマに赴いて映画「海の沈黙」を観賞した。
原作はテレビドラマで数々の名作を世に出したあの倉本聰氏が満を持して放った集大成的作品であるという。私は期待をもって映画館に向かった。
凡そのストーリーは次のようだった。(あるいは解釈違いも含まれているかもしれない)
「二人の画家、田村修三(石坂浩二)と津山竜次(元木雅弘)は若い頃同じ師について作画の修行に励んでいた。その頃、津山は天才画家とも評されていたのだが、天才ゆえの奇抜な行動も多く、田村の暗躍もあって師匠から破門されたという。一方の田村は順調に出世し、今や世界的な画家となり名声を博している。一方津山は貧困の生活の中で作画だけは続けていた」
こうした背景をもとに、映画は冒頭に田村の作品展において、田村は自らの作品に贋作があると指摘する。その贋作はどうやら津山が描いたもので、原作より良い出来となっていた。このことを軸としてストーリーが展開するのなら、私も付いていけたのだが、そこに新たな要素が次々と加わるのだ。一つは、津山は油絵を描く一方、父の技を受け継ぎ刺青の彫り士としての顔を持っていた。その津山が彫った刺青を全身に施した女が自殺するのだ。さらには、田村の妻である安奈(小泉今日子)は、以前は津山の恋人だった…。そしてスイケン(中井貴一)と称する得体のしれない人物が田村と津山の周りで蠢く、というように複雑極まりないストーリー展開なのだが、そのあたりについて説明がないまま話が進行していくために、観る者としてはたえずもやもや感に包まれたままに画面を見つめるしかなかった。
唯一の救いは、主演の本木雅弘が相変わらずの迫真の演技を見せていたことか?彼はこの映画のために10キロもの減量を敢行したともいう。中井貴一の年齢相応の渋い面妖な演技も見ものである。
惜しむらくは、倉本氏が久しぶりの原作・脚本ということもあって少し張り切り過ぎ、多くの要素を詰め込み過ぎたきらいはなかったろうか?
映画として多くの観客を楽しませるためには、もう少しスリムな内容にして観客に丁寧に説明することが必要だったような気がしてならない…。