もうすでに亡くなった目白の叔父の影響で昔から蕎麦が好きだ。叔父は新蕎麦がはいると自分で打っては親戚に声をかけご馳走してくれた。やはり蕎麦はあの喉越しもさることながら、独特の蕎麦の香りがないと蕎麦ではない。自分の好みは蕎麦の殻も挽いて少しだけ入ったやや黒目の蕎麦の香りと味がする蕎麦である。つけ汁はよくねかしたやや甘みの強い濃厚なもので、最後に供される蕎麦湯はそば粉がたくさん混じってとろとろしたものがいい。「蕎麦湯で~す」といって持ってこられたもので、ほとんどただのお湯であった店があったが、それを注意したら「うちは茹で汁は毎回新しいお湯ととりかえるため蕎麦湯は極めて薄くなります」と。そこまで「茹で」にこだわるつもりなら「うちには蕎麦湯はありません」といってほしかった。中途半端で店主の心意気が感じられない。