吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています。診療日には毎日更新しています。

隣組(個人情報保護) その4

2014年02月10日 06時52分33秒 | インポート

    施行当時は、「患者の個人情報なので話せません」と警察にずいぶん手間をかけてしまった。その後、「公務執行においては個人情報の提供は、個人情報保護の例外とし、遅滞なきよう便宜をはかること」と官庁から通知があったのでその後はある程度は協力するようにした次第である。しかし最近でも時々この個人情報保護を理由になかなか我々医師としての業務がはかどらないことがある。介護保険の認定にあっては患者意見書を医師が記載するのであるが、これは患者の現状を記載しなければならない。たとえば以前、介護保険の認定を受けていたものでは「介護度」というものがつく。この過去の介護度は更新時の情報として自分は参考にしたいので必要な情報の一つなのである。ところがこの介護度が情報として役所から連絡されてこない場合がたびたびある。役所に問い合わせたのであるが、「本人の許可がなかったので連絡できませんでした」と。<o:p></o:p> 


隣組(個人情報保護) その3

2014年02月08日 06時17分47秒 | インポート

   それにしても、現在の個人情報保護法は確かに少しは練れてきたもののまだまだその用いられ方には不合理なことが多い。施行直後は、よく事件関係の情報提供が警察から医療機関に依頼されてきたが、すべて「患者さんの個人情報なのでお答えできません」としていた。みんな情報提供することにビクビクしていた時代である。近年では、警察の捜査に必要な情報や公的業務における個人情報は業務遂行に必要欠くべからざるものであれば、比較的自由にやり取りができることになっている。ただしこれら公職にあるものは、秘密の漏えいに関して刑法、民法でも厳しく制限されているのである。つまりある意味、これらの職業のものは業務遂行に遅滞がないように個人情報を得る便宜がはかられるが、一度業務上知りえた個人情報の漏えいについては厳しく罰則規定が設けられているのである。<o:p></o:p> 


隣組 その2

2014年02月07日 06時41分10秒 | インポート

   現代の各家庭が個人生活を大事にする世の中では、お互い顔の見える関係は希薄になり、隣は何をする人ぞということになる。それはそれで世の中の流れで悪いことではない。しかも今の世の中、個人情報保護法なるものも作られていっそう個人のプライバシーというものが尊重される世の中になっている。果たして向こう三軒両隣的な感覚が今の世の中にマッチするものであるかどうかはわからないが、このコメンテイターは「この向こう三軒両隣的感覚」がなくなったことで通報が遅れたようなニュアンスでいっていた。今の世の中に持ち出してくる制度としてはミスマッチ感も否めなかったのであるが、まあいい意味にとらえれば間違いではなかろう。ただこの隣組の自分の理解の仕方はあくまでも思想統制を目的とした相互監視・通報システムであるので、コメンテイターのこの語句引用には違和感を覚えたのである。<o:p></o:p> 


隣組 その1

2014年02月06日 05時31分30秒 | インポート

    この前、北海道で女児が拉致された事件があった。その後、容疑者は、怪しげな少女漫画を携えてタクシーに乗車したところ運転手に不審に思われ、その運転手からの通報にて事件は解決に至った。TVのバラエティで某コメンテイターが発したコメントであるが「昔のような『向こう三軒両隣』の顔の見える関係があれば(容疑者宅もすぐわかり)もっと早い通報につながったのに」と言っていた。この隣組の区割り制度は第二次世界大戦時代に、日本において村や町の区割りよりもっと細かく6軒単位のグループが作られ、これを単位として配給制度が行われたらしい。この制度は確かにお互いの顔の見える関係で好ましいと思われるが、当時の軍部の目的は思想統制にあった。この隣組制度を利用し、自分の隣組の中に反戦思想を持つ者がいないかどうか相互監視させ、それをを密告させることにあったらしい。<o:p></o:p> 


大人の階段 その6

2014年02月05日 05時51分35秒 | インポート

 学生時代、診察時に患者さんにきちんと確認することとして、既往歴(過去の病気、治療歴)、薬のアレルギー歴を明らかにすることと学んだ。しかしその際、「服薬できる薬の剤型」などは教わらなかった。やはり時代はかわったのである。こちらから「粉薬はのめますか?」と聞いておかないとあとで院外処方薬局から確認電話がかかってくるのである。電話がかかってくるのはしょうがない。きちんと確認しておかなかった自分が悪いのである。そういう訳で最近では、初診の患者さんにはたいてい「粉薬は大丈夫ですか?」と聞くようにしている。飲めないという患者さんには、代替薬を探す。これは現代における医療サービスの一環なのであろうが、自分は大人の階段として捉えていたので少し違和感もある。患者さんも特に「粉薬をのめないこと」がこの医療サービスによって剤型変更されるのであれば、わざわざ今更、大人になってまで粉薬をのむ努力などはしないものであろう。近年、製薬会社の努力なのか粉薬はずいぶん減ってきた。今後は粉薬をのめるかどうかなんてことは必要のない世の中になっていくのであろう。でも何となく違和感がないこともない。<o:p></o:p> 


大人の階段 その5

2014年02月04日 06時09分26秒 | インポート

   「粉薬が飲めないこと」を処方時に自己申告される患者さんはまだいいが、何も言わない人もいる。粉薬の処方をしたあとで患者さんが院外薬局で「カミングアウト」し、その院外薬局からクリニックに電話がかかってくることもある。「先生、患者さんは粉薬がだめとおっしゃっているのですがどうしましょうか?」 院外薬局の職員はどんな些細なことでも必ず連絡をしてくる。外来が立て込んでいるときはこの傍若無人な電話は極めて鬱陶しいのである。すべての順番を通り越して最初に返答しなければならないが処置中ではどうにも対応できない。しかし目の前で診療中の患者さんに待ってもらい、その電話の人のカルテを開き直し、そして変更薬を調べなおさなくてはならない。目の前の診療中の患者さんも自分の診療が妨げられていい気はしないであろう。でもこれは自分で「粉薬をのめないこと」を申告しなかった患者さんが悪いのではなく、今の時代ではこちらが最初から聞かなかったことがいけないのである。


大人の階段 その4

2014年02月03日 06時24分17秒 | インポート

   外来で「私、粉薬がのめないんです」と申告する患者さんには、錠剤があれば変更するし、なければ類似薬を探して処方することになる。最近、漢方薬の効能が注目を集めており、うちでもかなり処方する機会が多い。これは西洋薬にはない体質を改善する効果や、あるいは意外だったのであるが薬によってはかなりの即効性が期待できるものもある。ところがこの漢方薬は粉薬(顆粒状のエキス製剤)なのである。会社によっては錠剤もあるがその場合1日18錠くらいの大量を服用することになる。したがって粉薬のだめな人には治療の選択肢が狭まってしまうので、不利益なことになるのである。やはりどう考えても大人になるまでには「粉薬のステップ」をきちんとクリアしていくことが将来的な自身のbenefitのためにも必要なのである。飲める人と飲めない人では同じレベルの医療を享受できるわけではないのである。「え~、先生、わたしって、粉薬がダメな人なんですよー」と諦める前にもう一度「服薬練習」をしてほしいものである。今からでも遅くない。<o:p></o:p> 


大人の階段 その3

2014年02月01日 06時12分02秒 | インポート

    「粉薬を飲むこと」の技術は自転車と同じである。乗れない人には難しいのであろうが、乗れるようになった人にはその難しさなどは理解できない。そして「粉薬が飲めない」まま大人の階段を一つ飛ばしに上ってしまった人には、将来、健康で薬を服用しなくてもいい状態を維持するか、あるいは錠剤だけの処方にしてもらうか、ということになる。外来には思った以上に「私、粉薬が飲めません」という患者さんが多いのに気が付く。子供ではない大人の患者さんである。自分の育った環境(あるいは時代)では「粉薬が飲めるようになること」は、大人になるまでに当然習得している技能として自分は理解していた。したがって大人の患者さんが「あ 私、粉薬が飲めないんです」と言われると、少々面喰ってしまうのである。最近では特にこの「粉薬がのめない」ことを、堂々と申告される患者さんも多い。たぶん自分だとしたら大人の階段を一つ踏み外してしまったわけであるから、少し「恥ずかしそうに」あるいは「申し訳なさそうに」申告すると思う。これは良し悪しの問題ではない。ただ育った時代や環境の違いによる「受け止め方」の違いなのであろう。<o:p></o:p>