大津のいじめ事件を読むたびに心が痛む。
それまで彼はどんな気持でいたのだろうと思うと、読むたびに胸が痛くなる。
「これはあまりにひどすぎる!」とkekeに言った。
「親として自分はどうすれば良いのだろう」とkekeに尋ねると、「これはどうしようもない」と言う。
「こう言う時はとにかく親に言おう、そして事情が分かれば学校に行かなくてもいいって言うからね。」と言うと、kekeは「親には絶対に言えないでしょう」と言う。
「やっぱり言えないか。」
「言えないでしょう。」
それはそうだ。
私も幼稚園でさんざいじめられたが、親には決して言えなかった。
一つに「いじめている方が悪い」と言う認識ではなく、「いじめられている自分に原因がある」と考えているので、恥かしくて親に言えなかったのである。
(たぶん先生にも言えなかったのだろう、言われなくても(私なら)気がつくと思うけど。)
しかし小学1年の時、私のノートがグジャグジャに落書きされているのを親が発見し、そこで初めて「いじめられている」事が親にばれてしまった。
すると、母親は相手の親に目の前で電話を掛け、半狂乱で相手の親に怒ったのである。
私はその様子を目の前で見て、「親が狂ってみっともなく恥ずかしい」と「相手のいじめっ子が親にばれて可哀想」と思い、「二度と親にいじめられていることは悟られないようにしなくては」と子供心に誓ったのをよく覚えている。
本人は「自分が悪いからこうなっても仕方ない」と思っていることと、いじめられるのがいつものことなので、それが特別だとは思っていないし、「いじめる方が悪い」ことに気がつかない。
私が当時の事で覚えているのは、いじめられなかった日の出来事である。
いじめられるのが普通だったので、友達から親切にされる日が逆に奇妙で気持悪くて覚えているのである。
それを踏まえて私はもう一度kekeに言う。
「こう言う時は親に言おう、そして学校に行かなくてもいいって言うのを分かってもらうんだ。」
「親には絶対言えないでしょう。」
「言えないか。」
「言えないよ。」
「kekeだったらどうする?」
「死ぬしかないでしょう。」
「それはやめよう、学校には行かなくてもいいし、引越しをすればいいんだから。」
「バイトはいじめられたりしないか?」
「そしたら、辞めてるよ。」
kekeは「高校以上になればもう大丈夫だよ」と言う。
今、いじめに悩んでいる君は親に話そう。
分かってもらえないかもしれない。
ぐじゃぐじゃになって、天と地がひっくり返るような状態になるかもしれない。
(私の母の半狂乱のように)
でも、それでも逃げれる可能性が生まれる。
黙っていてもいじめはおさまらない。
いじめているヤツは楽しくてやっているんだ。
本当の友達はそんなことはできない。
親に話して学校に行かなくていいように考えてもらおう。
引越しだってできるかもしれない。
新しい学校だったら、かばってくれる先生がもしかしたらいるかもしれない。
勉強は塾だってできる。
高校や大学に入るだけで、友達が変わる。
そしたら全然環境が変わって、いじめられなくなる。
私は小学校の低学年まではかなりいじめられたけど、中学からはそんな事は1度も無かった。
友達もできた。
環境が変われば、この状態は変わる。
それまで逃げよう。
もしも親がダメなら、親戚のオバサンやオジサン、役所の窓口でもいい、どこかに誰かいるはずだ。
お祭りの盆踊りしてるオバサン、おまわりさん。
ダメかもしれないけど、もしかしたら逃げれるかもしれない。
まず話すそう。
言えなかったらノートにあったことをいっぱい書こう。
それで分かってもらえそうな人に見せよう。
(そのまま返してもらえないと困るから、コピーを取っておくといいかもしれない。)
とにかく、どうにか逃げて生き延びることを考えよう。
今の時代は恥ずかしいのは、いじめをしている方なんだ。
されている方は恥かしくなんかない。
もう2度とこんな事件は起こりませんように。
それまで彼はどんな気持でいたのだろうと思うと、読むたびに胸が痛くなる。
「これはあまりにひどすぎる!」とkekeに言った。
「親として自分はどうすれば良いのだろう」とkekeに尋ねると、「これはどうしようもない」と言う。
「こう言う時はとにかく親に言おう、そして事情が分かれば学校に行かなくてもいいって言うからね。」と言うと、kekeは「親には絶対に言えないでしょう」と言う。
「やっぱり言えないか。」
「言えないでしょう。」
それはそうだ。
私も幼稚園でさんざいじめられたが、親には決して言えなかった。
一つに「いじめている方が悪い」と言う認識ではなく、「いじめられている自分に原因がある」と考えているので、恥かしくて親に言えなかったのである。
(たぶん先生にも言えなかったのだろう、言われなくても(私なら)気がつくと思うけど。)
しかし小学1年の時、私のノートがグジャグジャに落書きされているのを親が発見し、そこで初めて「いじめられている」事が親にばれてしまった。
すると、母親は相手の親に目の前で電話を掛け、半狂乱で相手の親に怒ったのである。
私はその様子を目の前で見て、「親が狂ってみっともなく恥ずかしい」と「相手のいじめっ子が親にばれて可哀想」と思い、「二度と親にいじめられていることは悟られないようにしなくては」と子供心に誓ったのをよく覚えている。
本人は「自分が悪いからこうなっても仕方ない」と思っていることと、いじめられるのがいつものことなので、それが特別だとは思っていないし、「いじめる方が悪い」ことに気がつかない。
私が当時の事で覚えているのは、いじめられなかった日の出来事である。
いじめられるのが普通だったので、友達から親切にされる日が逆に奇妙で気持悪くて覚えているのである。
それを踏まえて私はもう一度kekeに言う。
「こう言う時は親に言おう、そして学校に行かなくてもいいって言うのを分かってもらうんだ。」
「親には絶対言えないでしょう。」
「言えないか。」
「言えないよ。」
「kekeだったらどうする?」
「死ぬしかないでしょう。」
「それはやめよう、学校には行かなくてもいいし、引越しをすればいいんだから。」
「バイトはいじめられたりしないか?」
「そしたら、辞めてるよ。」
kekeは「高校以上になればもう大丈夫だよ」と言う。
今、いじめに悩んでいる君は親に話そう。
分かってもらえないかもしれない。
ぐじゃぐじゃになって、天と地がひっくり返るような状態になるかもしれない。
(私の母の半狂乱のように)
でも、それでも逃げれる可能性が生まれる。
黙っていてもいじめはおさまらない。
いじめているヤツは楽しくてやっているんだ。
本当の友達はそんなことはできない。
親に話して学校に行かなくていいように考えてもらおう。
引越しだってできるかもしれない。
新しい学校だったら、かばってくれる先生がもしかしたらいるかもしれない。
勉強は塾だってできる。
高校や大学に入るだけで、友達が変わる。
そしたら全然環境が変わって、いじめられなくなる。
私は小学校の低学年まではかなりいじめられたけど、中学からはそんな事は1度も無かった。
友達もできた。
環境が変われば、この状態は変わる。
それまで逃げよう。
もしも親がダメなら、親戚のオバサンやオジサン、役所の窓口でもいい、どこかに誰かいるはずだ。
お祭りの盆踊りしてるオバサン、おまわりさん。
ダメかもしれないけど、もしかしたら逃げれるかもしれない。
まず話すそう。
言えなかったらノートにあったことをいっぱい書こう。
それで分かってもらえそうな人に見せよう。
(そのまま返してもらえないと困るから、コピーを取っておくといいかもしれない。)
とにかく、どうにか逃げて生き延びることを考えよう。
今の時代は恥ずかしいのは、いじめをしている方なんだ。
されている方は恥かしくなんかない。
もう2度とこんな事件は起こりませんように。