きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

はじまりは自分から

2012-07-14 | 息子keke
テンプレがハートになっても、恋人ができたわけではないので、安心してください。^^
私はいつもと何も変わらないのです。^^

今まで私はシアワセに条件があったんですね。
例えば「子供が学校を卒業してくれたらシアワセ」とか、「家族を大切にしてくれる旦那だったらシアワセ」とか、「彼が自分だけを見つめてくれたらシアワセ」とか。
シアワセに条件がついていたんですよ。

でも逆に考えると、その条件がはずれたら途端にシアワセじゃなくなるし、そもそも、それって全部他人の動きに左右されることでしょ。
だから安定しなかったんです。

これからはそうじゃなくて、今のまま、ありのままの自分でシアワセでいられそうな気がするのです。(*^o^*)(←と、今は思う)


自分のことを結構いいヤツだなぁ、好きだわぁ、と肯定できていたら、人の行動に必要以上に振り回されないような気がしませんか。^^
自分がハッピーだったら、子供がどうでも、恋愛がどんな形でも、好きな人がいなくても、そこにシアワセはあるのです。(^^)(みんなそれは外的要因だし)


まずは「それでいいんだよ。^^」から始めるとよいと思います。

「それでいいんだよ。」
「大丈夫だよ。」
「よくやってるね。」

同じ目の高さで、何回でも言えたらいいなと思います。
まずは自分に。

自分に言えるようになったら、自分がほんとにそう思えるようになったら
子供や家族に、他の身近な人にも自然に言えるようになると思うのです。
そこから「共感」が始まるのだと思います。

自分が本当に困っていた時に「指示」では動けない。
その時は「肯定」しかなかったのが、大きなポイントです。
子供も同じなのだと思います。

それには同じように悩んで、同じように苦しんで、同じような境地に至らないと難しいかもしれません。
そうならないと、「共感」ではなく「指示」になってしまうのです。

「共感」とは同じ目の高さになることです。
自分はその人より偉くはありません。
なので、(子供に向かって)「○○しなさい」と言う言葉にはなりません。
(友達に頼むようなお願いになると思うのです。)←そう言えばひきこもりの本にも「神様のように」と書いてあったっけ。

プリンセスレッスンの本に「もっと自分を甘やかし、自分を喜ばせましょう」と言うことが書かれていて、「なぜなら、それができるのは自分だけだから。」だそうです。

ここを読んだ時に、「あ!今まで私は自分じゃなければできない所を人任せにしてたんだな」と気づきました。^^

「それでいいんだよ」「大丈夫だよ」
それを何度も何度も何度も言ってあげられるのは、自分だけ。
ギリギリいっぱいでも「家族」まで。

そこを他人任せにしてはいけないのです。^^

今、こんな風に思えた理由は一つではなく、kekeのことで悩んだ日々も、叶わない恋愛も、車を買ったこと乗ったことも、みんなが土台になってて、ブログでいただいたコメントや、読んだ本の言葉がきっかけで、ひらめいたのです。

説教じみてて申し訳ありませんが、ここはその日思ったことをそのまま書く場所なので、書いてみました。^^

さっそく今日もこれからkekeはバイトに行くそうです。
昨日は「半月続いたねぇ」と言う話をしました。


今日はkekeの「ひきこもり」に例えてみましたが、これは恋愛でも夫婦でも同じだと思います。^^