
昨日の中華そぼろの残りと、kekeが買ってきたひじき→レンコンやゴボウと煮てリメイク→その残りを卵とチャーハンにしてみた。(余り物の寄せ集め。)
そして、1週間ぐらい冷蔵庫に残っていたキンピラゴボウを、豚バラでグルグル巻いて焼いてみた。
味付けは使う機会のないステーキソース。

kekeに「チャーハンのお弁当と、昨日の残りの麻婆豆腐+白いご飯と、どっちがいいかしら?」と尋ねたら、「白いご飯と麻婆豆腐。」と即答。(+o+)
あの子は、私の手がより掛かってない方、掛かってない方を好む傾向にあるらしい。
そんな時、朝のTVではどこのチャンネルだか分からないが、何億円の宝石を映していた。
「ご覧ください、これは何億の宝石が」ウンタラ。
最後にアナウンサーが「女性なら誰しも宝石が好きですからね。」と言うけど、私は自慢で無いけど宝石にまったく縁がない。
まぁ金に替える事ができて、困った時に食べ物に変えられる、と言う意味ではほしいですけどねぇ、そんなちっぽけなものが何十万とか、何百万とかアホじゃねぇか、(3万4万ぐらいなら許せるが。)あんなのミエとプライドでほしがっているようにしか思えん。
・・・・と思って「バカか」と思って玄米フレーク食べながら見てたけど、でも待てよ?世界のどこかには食べたいものも満足に食べることができない国もあったんじゃなかったっけかな、そこの人から見たら、お弁当に赤や黄色や緑をきれいに入れましょう、って言う私もあそこらのバカ宝石女達と一緒なのだろうかたぶん・・と思い始めて、一人ショックを受けてしまった。
いったい世界にはどのぐらい格差があるんだろう?
たぶん富と言う物はある程度量が決まっていて、それを誰がより一層多く奪うかなのだろうか。
「世界平和」なんて言うだけは簡単だけど、どこまで生活レベルや便利さを、地球や貧しい国のために落とすことができるのかなぁ。
そんな事を考えてしまった。
TVや車ぐらいなら無くても(誰もが無いなら)どうにかなりそうな気がする。
だけどお湯でお皿が洗いたい。
トイレも今となってはウォシュレットがほしいし、何て言っても虫やネズミがウジャウジャわいてくるような所や夜が真っ暗な所(電気が無い)には住めない。
具合が悪い時は病院に行きたいし、服や下着も取り替えたい。
そうやっていろいろ考えると、自分も世界的にはかなりハイレベルな生活を求めているように思う。
宝石女たちは、それが宝石に変わっただけなのだ。
毎日好きなものが食べられて、しかも色で遊べるなんて、それだけでも本当は贅沢なことだったのか。。。
ちなみに、キンピラゴボウの肉巻き・・・残り物のリメイクなのに意外に美味しかった。