きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

今日はおやすみ

2013-05-19 | 父の記録と母の思い出
この週末は少し体を休ませようと考えていたのだが、昨日はちょっと会社でしなければならないことがあったり、その後に父の病院に行ったり、図書館を回ってたりであまり休めなかった。


父はかかとにバイキンが入ってしまったそうで、今日は処置をしてもらいベッドに寝ていた。
割と元気だったのだけど、相変わらず目は閉じたままだった。
今日は周りに人がいないし歌ぐらいなら聴けるかな?と思ってかけてみると、最初うれしそうにはしていたけれど、やはり疲れてしまうような気がする。もしかしたらもうあまり分かってないのかもしれない。
「sakeってなんだっけ?」と言ってたし、楽しいことも含めて余計なことを考えさせることが申し訳ない気がしてしまう。

しかし寝ている父をぼんやりながめていると、そんな時に限って「kekeのお昼が菓子パンしかなかったな」なんてことも気になったり、そしたらそしたでkekeはもう自分でどうにかする力は充分にあるはずなのに、やっぱりこう言う場面ではどうしても気になってしまう。

どこかの雑誌で伊藤ひろみさんが「カルフォニアに住んでいた私は熊本の父が死ぬまで1度も同居しませんでした。自分達の生活を優先させたかったからです。」と明確にハッキリ書いていて、清々しさまで感じる。
親を大切にする人、そこまでできない人、そのどちらも今は正しいような気がする。
もちろん、本ではカルフォニアと熊本を行ったり来たりする(直行便はたしかなかったはず)話がたくさん書かれている。

自分は今こんな風にしているけれど、kekeは自分の人生を大切にしてほしい。
でもあの子のことだから、たぶんこんな風な心のかけ方かもしれない。何となく足は向いているけど、サラッとしてる、そんな感じかもしれない。

本屋に立ち寄った時、「医者に殺されない47の心得」と言う本が積まれていた。
ペラペラめくりながら、おでこのかぶれの事を思い出す。あのまま「またかぶれてしまいました」と病院に行っていたら、しばらく塗り薬も飲み薬も処方されていただろう。。。
でも、仕事だから患者が来たら薬を処方しなければならないのも分かるのだ。

でも人間の体は本来、しっかり休めば治るようにできているのではなかろうか。。。心も体も適度に休ませることが大切なのではなかろうか。
放っておくことで手遅れになることもあるかもしれないから、早く病院に行くこともよいことなのだろうけれど。