きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

別れについて

2013-05-21 | 女だから思ったこと
宇野千代さんの本を思い出した。
もしかしたら記憶違いもあるかもしれないけれど、千代さんは4回の結婚をして、最後のご主人は60過ぎてからお別れしたのだった。(うんと年下の旦那さんだった。)
そしてお別れの時、千代さんは別れるご主人の荷づくりを(たぶん笑顔で)一緒にしたそうである。

私はこの回想録を読んで、60過ぎてから何年も(20年近く)連れ添った人と別れるのはどんなに辛いことだっただろう、どれほど気持を押し殺して笑顔で荷づくりをしたのだろう、とずっと想像していた。

もしかしたら本当に千代さんは笑顔で相手のこれからの幸せを願いながら、荷づくりをしたんじゃないかしら。
今そんな気がするのは、別れは悔しい悲しいだけのものではないような気がするからだ。

本によると(記憶違いがあったら申し訳ない)、夫婦としては破綻しながら(?)その後に二人の会社が倒産と言うことになり、「そこで私達は夫婦の頃よりもむしろこの時の方が協力し合うことになったのです」と言うような内容がどこかの本に書かれていたように思う。
実際に千代さんが荷づくりをしてご主人を見送るのはそれからしばらく(記憶が間違ってなければ2~3年)後のことなのだ。


末長く一緒に暮らすことだけが成功ではないのかも・・と考えて、元夫と出会えてよかったことを思い出してみた。

そして、kekeが生まれたことや、(専業主婦の間)料理や家事を少しづつ進歩したこと、育児も経験できたこと、そんな事を思い出しながら、そこに元夫の存在がないことに愕然とした。
思い出すことは、自分とkekeのことばかりである。

彼の存在。
彼のいいところをもっと伸ばすような努力、彼が家に居やすいような努力、そういう見方をしてこなかったなぁ、彼をみつめることをしてこなかったなぁ、と改めて気づいた。
彼が私にしてくれたことが思い浮かばないのである。

そして搾る取るように、3人で釣りに行ったこと。その時もしかしたら元夫は仕事で疲れていて、家で休みたかったけれど私たちのために付き合ってくれたのかもしれない、と思い出してみた。
そういう一つ一つの事に感謝できていたら、どこかで何かが変わっていたかもしれない。

悔いでも否定でもなく、客観的な事実としてそんなことを思い出して、だから、これからはどういう出会いも大切にしよう、一つ一つのことを感謝の気持ちで受け止めよう、と前向きに思い出した。

私はこれからいろんな人と別れて、悲しむこともあるかもしれない。
でも、そこには相手の幸せがあると信じて、グッとお腹に力を入れて、サヨナラできたらよいように思う。

そしてお別れする時間がきても、その間にしてもらったことはいつまでも覚えておけるようにしておこう。
最後にどんな形になっても、今私がこうして考えていること、そこには少なからずもその人の影響があり、自分の成長がそこにあることは事実なのだから。

50になる前の今の私はそんな風に考えている。