きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

これからは

2014-02-13 | 息子keke
4日ぶりに車を走らせる。

うれしい。
見える景色のすべてを大切にしたいと思う。

道路の脇に残る雪も、橋の上から見下ろす雪が残った川も、何もかもしっかり見ておこう。
くっきり澄んだ青い空。
高速の光るランプも。

そう思うのは、いつかは車も乗れなくなると思っているからだ。
限りある時間だから、大切にしたいのだ。

生きていることもそうなのではなかろうか。
今までの年月より残りが少ないと考えると「残りの人生を大切にしよう」と思う。
好きなこと、気持いいことを追いかけていこうと思う。
そう思い始めてから、また生きていくことが楽しくなった気がする。

しかし、kekeはどうだろう?
20年生きてきて、決してそれが楽しいものではなく、あと残り50年もあるとしたら、あまりに遠すぎてうんざりしてしまう。

ハタチの頃kekeが言った。
「どうして死んではいけないの?」

私は答えた。
「20年女手一つでお前を頑張って育ててきたんだよ、いったい何を言ってるんだ?」

何て愚かな答えだったのだろう。
kekeは言う。
「誰も頼んで生んでくれとは言っていない。」


大学を辞める辞めないで揉めた時もそうである。
「何を言ってるんだ、いったいこれまで幾ら払ってきたと思っているんだ。」

ほんとに情けないが、これが私の答えであった。
明確に生きて行く理由を答えられずに、恩をきせるだけの親だったのだ。

だからkekeは「死にたい」と言った。
そんなの自分で選んだ人生ではないと言う。
自分は産んでくれとも育ててくれとも頼んだ覚えはない、アンタが勝手に産んでそういう風になれと言うだけ。本当に迷惑だと言った。

たしかにそうだな、と運転しながら私は思う。
kekeの言うことは今なら分かる。
ちゃんとつながっている。

23歳になって、kekeは言わなくなった。
なぜ生きていかなければいけないのか。
答えがみつかったわけではなく、コイツに訊いても答えられないと判断したのだろう。


女手ひとつも、「頑張って」も自分で選んでしたことである。
だからお前もその通り育たなきゃと言った。
そんな自分を情けなく思った。

「こんなにやってあげたのに」
もう二度とそんなことは思うまい。

私は誰にも何をもしていない。
その時その瞬間にできることをしているだけ。。。

これからはもういいんだ。
今日もおいしいものを食べて、ちょっと楽しいことがあって、ぐっすり寝られる。
それで二人で暮らしている。

もうそれでいいんだ。
とりあえず、そんな今日が明日につながっている。