きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

名古屋の事件

2014-02-25 | 巷の話題
名古屋の車が暴走した事件を聞く。
事故に巻き込まれてしまった方の怪我が早く治られることを願っている。自分の身内だったらどんなに悔しい思いをするだろう。

それもさることながら、加害者がひきこもりの30歳ではないか?と言うウワサを聞いて、胸が痛くなった。5人家族が出て行ってしまい、大きな家に1人で暮らしていたそうである。

kekeが大学を辞める辞めないでもめていた頃、その後でひきこもった頃、「自分が出て行ってしまって、食べるものも一切持ち出してしまったら、この子は仕方なく外に出て働くのだろうか」と真剣に思ったことがあった。
もしかして、この加害者の家族の方もそう思って出て行ってしまったのだろうか。

私は人の命を奪うことと、自ら命を止めてしまうことは紙一重のような気がする。
ベクトルが自分に向くか、外に向くかの違いでしかないと思う。

犯罪を犯した人に同情することはしてはいけないことなのかもしれないが、どうしても他人事には思えないのだ。やったことは悪いことだけど、どうしてこうなってしまったのか、偉い方々は真剣に考える必要があるだろう。


ひと昔前の私はこんな事件を聞いても「親が悪い。」「頭がおかしい。」などと言って片付けていた。今はとてもそんな言葉で片付けられない気持がいっぱいである。
私も息子もあまり自分の命が大切、或いは大切に思われているとは思っていない。

kekeは今は働きたいと外に出たりするようだが、履歴書一枚で判別される仕事探しである。
頼るあても何も無く困難を極めると思う。

仕事がみつかっても、そこで続くかも分からない。
どこも利益追求のみで、人件費をギリギリまで切りつめている。
肌が暖かかろうが機械の方が効率が良ければ、企業は容赦ない。

負け犬の遠吠えと言われれば言い返すこともできないが、この世は「勝ち」と「負け」しかないような気がする。
効率が効率が、効率と利益さえ残れば、あとはどうでもいいと考えるのが今の時代である。
自分さえ贅沢できれば労働人なんてどうやろうと構わないと言うのが時流である。
頑張れない奴は要らない。
そして「負け」た人間はどんどん穴から落ちて行き、落ちたら這い上がることはもうできない。

そんな風に想像すると自分の命も人の命もどうでも良くなってしまえと思う若者もいるだろう。
負け犬の命の価値なんて誰が考えるだろう。
ただ人をあやめることは悪いことだと言う認識で、そのほとんどが自分の命から行くだけなのではなかろうか。
みんな命は大切だと口では言う。でもそうだったら必要ない人間なんて、本当はいないのではなかろうか。でも実際には、何の容赦もなく人は人を切り捨てる。お金の方を優先する。



私はもしかしたらひきこもりの人が起こしたかもしれないと聞いて、とても他人事には思えなかった。
何が悪かったんだろう、どうすればいいんだろう、とりあえず家族はいつまでもそばに居なければいけないな、と思った。
それも正しいかどうか分からないけれど、このような事件だけは避けたいと思った。

詳しいことは知らないが、考え始めるとだんだん胸が痛くなる。
被害に遭われた方は早く良くなることを願っています。