写真は東愛知新聞のサイトからお借りしました。
佐々木久子(俳名・柳女)さんが亡くなった。「お酒」に関する数多くのエッセイをものにされ、私は親しんできた。火野葦平が亡くなった時の、彼女の悲嘆振りもエッセイで知った。後年の句 「風花と 共に旅立つ 酒徒善人」に、丹羽文雄をしてファザーコンプレックスと言わしめた、佐々木久子の深い想いを感じる。「酒の縁(えにし)」は、酒徒善人を呼ぶような気がする。久しく日本酒を飲まない。今日は冷酒でも飲みながら、彼女のエッセイを読み返してみようと思っている。 合掌
【佐々木久子】 ウィキペディアから抜粋引用
「1955年4月、25歳になる年、雑誌『酒』を創刊、以来1997年に501号をもって休刊するまでの42年間にわたり、編集長を務めた。
1956年早々、赤字で廃刊に追い込まれかけた同誌を小説家の火野葦平が救った。火野は、命ある限り無償で執筆する旨の証文を書き、同誌に原稿とトビラを約束どおり1960年のその死まで書き続けた。また多くの文人を紹介した。またおなじころ、前年1955年2月に小説家であり夫の坂口安吾を亡くし、1956年早々に東京・銀座で文壇バー「クラクラ」を開いたばかりの坂口三千代に、『クラクラ日記』の執筆を勧めたのも佐々木であった。」
『浮気笑論 - 男がサカナにされる本』、日本文芸社、1966年
『酒と旅と』、白馬出版、1972年
『酒縁歳時記』、鎌倉書房、1977年
『男百人男だけの肴』、田中小実昌、やなせたかし、加藤和彦らと共著・編著、
鎌倉書房、1978年
『酒恋うる話』、鎌倉書房、1979年
『酒 - はる・なつ・あき・ふゆ』、集英社文庫、1982年
『地酒と肴'83 - 四季の味特選』、鎌倉書房、1983年
『佐々木久子のお酒とつきあう法』、東電文庫、1983年
『酒と旅と人生と』、集英社文庫、1983年
『あまからぴん』、ミリオン書房、1985年
『酒に生きるおやっさん』、鎌倉書房、1989年
『おいしいもの見つけた』、ミリオン書房、1990年
『続・酒に生きるおやっさん』、鎌倉書房、1990年
『酒の旅人 - 佐々木久子の全国酒蔵あるき』、実業之日本社、1994年
『覚むれば独り』、短歌研究社、1994年
『わたしの放浪記』、法藏館、1995年
『今宵も美酒を』、有楽出版社、2003年
柳女逝きて 偲びし酒の ほろ苦し
津々堂(七月六日)
佐々木久子(俳名・柳女)さんが亡くなった。「お酒」に関する数多くのエッセイをものにされ、私は親しんできた。火野葦平が亡くなった時の、彼女の悲嘆振りもエッセイで知った。後年の句 「風花と 共に旅立つ 酒徒善人」に、丹羽文雄をしてファザーコンプレックスと言わしめた、佐々木久子の深い想いを感じる。「酒の縁(えにし)」は、酒徒善人を呼ぶような気がする。久しく日本酒を飲まない。今日は冷酒でも飲みながら、彼女のエッセイを読み返してみようと思っている。 合掌
【佐々木久子】 ウィキペディアから抜粋引用
「1955年4月、25歳になる年、雑誌『酒』を創刊、以来1997年に501号をもって休刊するまでの42年間にわたり、編集長を務めた。
1956年早々、赤字で廃刊に追い込まれかけた同誌を小説家の火野葦平が救った。火野は、命ある限り無償で執筆する旨の証文を書き、同誌に原稿とトビラを約束どおり1960年のその死まで書き続けた。また多くの文人を紹介した。またおなじころ、前年1955年2月に小説家であり夫の坂口安吾を亡くし、1956年早々に東京・銀座で文壇バー「クラクラ」を開いたばかりの坂口三千代に、『クラクラ日記』の執筆を勧めたのも佐々木であった。」
『浮気笑論 - 男がサカナにされる本』、日本文芸社、1966年
『酒と旅と』、白馬出版、1972年
『酒縁歳時記』、鎌倉書房、1977年
『男百人男だけの肴』、田中小実昌、やなせたかし、加藤和彦らと共著・編著、
鎌倉書房、1978年
『酒恋うる話』、鎌倉書房、1979年
『酒 - はる・なつ・あき・ふゆ』、集英社文庫、1982年
『地酒と肴'83 - 四季の味特選』、鎌倉書房、1983年
『佐々木久子のお酒とつきあう法』、東電文庫、1983年
『酒と旅と人生と』、集英社文庫、1983年
『あまからぴん』、ミリオン書房、1985年
『酒に生きるおやっさん』、鎌倉書房、1989年
『おいしいもの見つけた』、ミリオン書房、1990年
『続・酒に生きるおやっさん』、鎌倉書房、1990年
『酒の旅人 - 佐々木久子の全国酒蔵あるき』、実業之日本社、1994年
『覚むれば独り』、短歌研究社、1994年
『わたしの放浪記』、法藏館、1995年
『今宵も美酒を』、有楽出版社、2003年
柳女逝きて 偲びし酒の ほろ苦し
津々堂(七月六日)