津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

百葉箱

2008-07-02 14:56:42 | 建築
 六月の熊本の降雨量は平均の1.7倍だったとか・・。良くぞ水害が無かったものだとほっとする。昨日の晩のどしゃ降りも止んで、今日は梅雨の中休み、しかしまだまだ降りそうだ。気温も上昇、我が部屋は32℃と相成った。湿度65%、涼しい風が吹き抜けるのだが・・。気象庁の発表は30℃とか言っているが、あちら様は環境の宜しい百葉箱での話で、いささか条件が違う。2℃の違いは何か・・家のつくりのヒントが隠されている気がする。
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水前寺のり

2008-07-02 12:58:04 | 熊本
 今日の「Yahooトピックス」の「廃液からレアメタル回収へ」を覗いて、一瞬首を傾げた。「スイゼンジノリ」と見えたからだ。日刊工業新聞の記事として次のようにある。

『北陸先端科学技術大学院大学の金子達雄准教授、岡島麻衣子研究員らの研究チームは、日本固有の藍藻(らんそう)「スイゼンジノリ」(用語参照)から抽出した多糖類の新成分「サクラン」を使い、レアメタルをリサイクルする方法の研究に乗り出した。レアメタルの付着によりゲル化するサクランの性質に着目。工場排水などに投入し、レアメタルを回収する。
 フラットパネルディスプレーなどの工場から生じる排水や廃液に含まれる、レアメタルの回収を目指す。サクランが負の電荷を、レアメタルが正の電荷を、それぞれ帯びていることを利用し、サクランにレアメタルを付着させる。
 同じ多糖類のアルギン酸もゲル化する。しかし、今回、サクランと比較したところ、インジウムなど3価のレアメタルに対しては、サクランの方がゲル化しやすいことが判明。従来は難しかった種類の金属を、サクランでは効率よく回収できることが期待される。』

 間違いなく我が熊本の「スイゼンジノリ」だ。なんで「スイゼンジノリ」なのかと不思議でしょうがないが、ともあれ・・・嬉しい。

 図書館浴に出かける熊本県立図書館の脇を、名園「水前寺成就園」(通称・水前寺公園)の清らかな湧き水が一つの流れとなって「江津湖」に注いでいる。まさにこの図書館のやや下流にあたる所で、「スイゼンジノリ」は栽培されている。第一の条件は、水が清らかな事である。熊本の水道水は全て、清らかな阿蘇の伏流水がもたらす湧き水である。そんな清水が育てた「スイゼンジノリ」も、ご多分に漏れず家庭排水の流入によって絶滅寸前に至った。篤志家の手により命脈を保ってきたが、一気に脚光を浴びる事になった。しかし簡単に「増産」とは行かないのではないのだろうか・・・?
出回っているものの殆どは、本家熊本の手を離れている。(残念)

 地元「砂取小学校」のサイトが「知らせようスイゼンジノリ」を紹介している。ご一見を・・
     www.kumamoto-kmm.ed.jp/school/e/sunatories/ezuko/nori/nori.htm
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細川家家臣・藤懸氏

2008-07-02 11:52:55 | 歴史
 豊臣秀吉の養子に秀勝という人が二人いる。一人は織田信長の四男・於次、羽柴秀勝である。十八歳で亡くなった。今一人ハ秀吉の姉の子で石松丸、秀勝(豊臣)を名乗らされた。文禄之役で戦病死したが、夫人は後に徳川秀忠夫人となる浅井氏(お江与)である。

 信長の子・羽柴秀勝の側近に、藤懸(掛)永勝という人がある。
【弘治3年(1557年)、織田永継の子として生まれた。永禄元年(1558年)に永継が死去した後、外祖父・藤掛善右衛門に養育されたことから藤掛姓を称した。
永禄10年(1567年)ころ、織田信長に仕える。織田氏と浅井氏との婚儀に際しては、永勝は信長の妹お市に随伴して浅井氏に仕えるが、小谷落城時はお市や淀君などを救出して織田氏に帰参した。天正7年(1579年)、信長の四男於次(羽柴秀勝)が羽柴秀吉に養子入りすると、信長の命によってその補佐役を務めた。】とウィキペディア(Wikipedia)は説明する。養父(外祖父)善右衛門の名前も「兼見卿記」に散見され、秀勝の所用で兼見を尋ねている事が分かる。

 この永勝が、慶長五年幽齋が籠城する田邊城の攻め手の一人であった藤掛三河守である。嫡流は後徳川家の旗本として明治に至った。三河守の二男(?)の子・蔵人が召し出されて細川家に仕えた。蔵人の内室は下冷泉家・為将の長女だとされる。また娘の名前が見えるが、これも光尚室に付いていた者と思われ、光尚室の歿後お暇を出されている。

 谷家同様、田邊城攻めの子孫が細川家家臣となった。

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