津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

細川家家臣:牧氏

2008-07-28 11:33:27 | 歴史

 牧氏の出自について、綿孝輯録は次のように紹介する。
【先祖ハ敏達帝より出で橘の姓也、薬師寺次郎左衛門公儀末流にて、攝津国河辺郡富松の城主富松与一郎元亮男也、同郡牧村に住故、牧を以家号とすと云。(綿考輯録・巻十)】

                     +--新五(病死)
      兼重     嫡男・興相     | 善太郎・四郎右衛門
 牧遠江守---尉大夫---+--新五・左馬之允---+--平左衛門------------------→(新五家)
            |          |   虎蔵    
            |          +--藤左衛門------------------→(藤衛家)
            | 二男      
            +--五助---------------------------------------------→(新二家)
            |
            | 三男(細川忠興軍功記編者)
            +--丞大夫---+--権内 (病にて知行差上げ)
                 |
                 +--五左衛門---+--丹右衛門-----------→(市右衛門家)
                         |
                         +--丞大夫-------------→(丞大夫家)
               略系図を修正 2009/2/19

 牧家は細川家根本家臣の一家であり、青龍寺以来の家格を持つ。
 【牧丞太夫(兼重)ハ青龍寺より御奉公仕候、代々細川の御家臣筋目を以被召出、既ニ一色御討果の時も石川山にて狼烟を揚し役人也、其後小笠原少左衛門所にて黒川大炊と喧嘩 (中略)秀吉公より喧嘩は両成敗と被仰出・・(中略)立退・・夫より浪人して小西攝津守に奉公・・其後岐阜中納言殿ニも少の間奉公・・「今年(天正十九年)牧丞太夫・同新五父子帰参仕、聚楽にて御目見被仰付候」】

 管領家斯波氏の斯波義統の弟・義長、長治等母方が牧氏とされ夫々が牧氏を名乗っているが、この牧氏との関係を探っているが確証を得ないでいる。ご存知の方が居られれば、ご教示賜りたい。
さて、浅井長政の遺児・万菊丸は細川家の庇護を受け細川家家臣となった。その万菊丸を助けたのが牧左馬允・兼相である。丹後では五百石、豊前にて六千石の知行であったが、その知行地・豊後真玉に万菊丸を招いたと伝えられる。詳細は「杵築史談会久米忠臣著・生きていた浅井長政・お市の次男万菊丸」に詳しい。
熊本市立田山麓の泰勝寺(細川家墓地・現立田自然公園)にほど近い処にある、泰勝寺の塔頭・慈眼庵跡に細川刑部家の広大な墓地の横に、牧家と浅井家の歴代のお墓が寄り添うようにある。両家の深い関係を暗示するかのようだ。 

 又、兼重の三男は「細川忠興軍功記」を著した。忠興の軍功を知る上での、貴重な史料である。 

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