津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

忠興長女・長の壻殿前野氏と細川家家臣小坂氏

2009-07-19 14:54:04 | 歴史
 忠興の長女・長が嫁いだ前野景定の家に伝わる文書を元に、後世偏されたのが「武功夜話」である。偽書とする説もあるが、それはなかろうと私は考えている。「不確実な内容があるからと、偽書と決め付けるのは如何か」というスタンスである。
その中にある前野氏系図に「雄吉五男半之助、この人肥後細川越中守忠興様に召し出され奉公仕る、半之助の連枝の者肥後細川様家中にあり、肥後小坂氏」とある。
これが、細川家家臣・小坂氏の祖とされるが、半之助と半之丞と微妙に名前が違うのが気に成るところだ。

 小坂次郎左衛門・・…吉俊---+--正氏
                   |
                   | 陣中死    名跡相続
                   +--正吉・・・・・・・雄吉---+--吉長(旗本)
                   |               |
                   |               +--半之助  (細川家家臣・小坂氏)
                   |               |
                   |               +--雄長(旗本)
                   |           ↑
                   +--●    +--雄吉
                      ∥    |
                   前野長康---+--長康---景定
                                    ∥
                                +---
                                |
                        細川忠興---+--忠利

 小坂氏は正吉が陣中で病没、信長により妹婿の前野長康の子・雄吉をもって名跡が認められた。この雄吉の子・雄然が書き残した資料をもとに、後のその子孫が表したのが「武功夜話」である。
 前野長康・景定父子は豊臣秀次の事件で、連座の罪に問われ切腹させられた。景定の室・長についても死の危機がせまったが、実父・忠興の努力により剃髪して死を逃れた。

 長の夫・前の景定と、小坂半之助とは従兄弟の間柄である。小坂氏の召出しには、そのような姻戚関係が考えられるのは当然のことであろう。千石の給知は替わることなく明治までつづいた。


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