軽キ御役儀
大体人初メはよく後二ハ悪敷所出申候と奉存候 いつまても
怠りなく慎ミをたもち申候儀難きと相見へ申候 軽キ御役儀等
被為 仰付候ニハ一役を永ク共参年二ハ過申間敷候 十年も
二十年も同し御役儀被為 仰付置候儀ハ宣しかる間敷候
乍恐奉存候 御役儀被為仰付候初メ一二年之程ハ殊之外
つゝしミ大事二かけ申ニより私欲をも仕得不申よく
可有御座候 最早三年にも及ひ申候へハ物こと手ニ入巧者ニ
成り申候故事により弁しよき事も可有御座候得共
此所より慎ミを忘連心怠りゆるミそ連より私欲をも
可仕と奉存候
片落万遍
江戸御供仕り者ハ毎度 御供仕 御供不仕者ハ数年
御供不仕候 御役儀相勤候者ハ久敷相勤 無役ハ数年
無役ニ手打過し申候然共無役之者ハ愚鈍ニ而 無器量人計り
歟と奉存候得共 曽而左様ニ而も無御座候 御役儀相勤候ものハ
発明ニて有器量人計り歟と奉存候得ハ是も又左様ニても
無御座候 廻り/\ニ江戸御供も被仰付御役儀も被仰付
候ハゝ人々きほひも出来可申候 万遍ニ御座候へハときめき
申ものハます/\ときめき埋木ハます/\埋連
行申候 万遍ニ被遊御用候ハゝ人々の才不才 智
不智も分り可申哉と乍恐奉存候
人才
國を治め民を安する本ハ、人才を得て是を用ゆるに
可有御座候 人才を用ひて政をよく仕候ハゝ國治り民
安んする事必然ニ御座候
君今御仁政を行ハせられん事を被為 思召上候共
君を羽翼し奉るもの無御座候ハゝ 御仁政行ハ連
ましく候ト子游武城の宰となり申候時、孔子爾
人を得た里やと問せら連候二而推察仕候 天下を治申候事ハ
人才を得て挙用ゆるを第一と仕候 武城ハ魯の下邑と
御座候へハわつかの所と相見申候 そ連たに右之通孔子の
問御座候へハまして一國にもなり申候ゐてハ人才を
用不申候わてハ宣難参可有御座候 大舜ハ善與
人同す 己をすてゝ人にしたかふ人に取て以て
善をなす事をたのしむと御座候 尭舜の君ハ
大聖人ニ而だに自己の智まてにて治メ給ハす多クの
人才を挙用ひ給ひてそ天下を平治し給ひし事に
御座候 其事は諸書に見へ申候事に而今事新しく
申上候二及はざる事に御座候へ共皆古の國天下を治
給ひし君ハ人才を御用被成候 國天下を失ひ給ひし
君ハ皆倭人を近つけ賢者ニ遠ク忠臣を諌を不聞
人才を用ひ給ハさる故に御座候 武丁位に即キ
給ひてふたたび殷のおこさん事を思ひしか共 其佐ケ
を得給はす 三年迄ニ不信後ニ説を得給ひ 是を
相とし給ひてより殷國大ひに治り申候と見へ申候
いつ連良臣あるにて無御座候へハ國を平治する事
あたはしと見へ申候 聖君といへとも賢臣を得て
是に任し給ハさ連ハ天下に大功をなす事あたはさる
心を韓退之ハ龍も雲を得さ連ハ其霊を神に
する事なくと申候 誠ニ人君賢才を得給ハさるは
龍の雲を得さるの如く船の拕(舵カ)なきかことくに御座候
今 御國におゐても被遊御求候ハゝ全く古人にお
とらぬ様成ル人無御座候 忠義純一にして 御仁政の
御佐ヶに成り申者無御座事ハ有御座ましくと
奉存候 人を被遊御用候二も嫉ミそしるもの必しも
御座候而其人平生不取廻しの事なと申 或ハ
自分の振さハきさへよく仕り得すして大國の
御仕法の事なと此者等か及所にあらすなと可申上候得とも
聖賢の外ハ必しも全ク揃申事ハ無御座候 韓信元貧
賎にて 食を漂母によせて身を資ルの策なく辱を跨
下に受て人を兼日の勇なしとて龍旦笑ひあな
とり申候へ共漢の功をなし申候ハ韓信か計に
御座候 牛は大きなる獣に御座候得共鼠をとらせ申候而ハ
猫におとり申候然共車を引田を耕二ハ其益猫の
能にハかへかたく御座候 無事なる馬の人に馴安キハ
千里の能なく人をふく身くらひ申候馬に必しも
千里の能御座候様に人にも今日わつかの立居
振舞ふつゝかにまいすけいあんの相(挨)拶等不調法なる
ものに大事を任してよき人も可有御座と奉存候
惣躰玉ニ疵と申事ハ御座候得共石ニ疵と申事ハ無
御座候 大躰可用人に疵も可有御座候 無疵ニ而も石ニ而ハ疵有ル
玉には及不申か如く疵無御座候とて碌々たる庸人ニ而ハ
用ゆるに足り不申候 只々明智の人を被遊 御用
御仕法被為 仰付候ハゝ乍恐宜奉存候
明智の人出て事を行ひ申候ハゝ万々の事自然ニ宜成り
可申候返々も明智を被遊 御用古を師とし給ひ
今ニ宜様ニ 御仁政を行ハせられ民を安んし給ふ
様に有御座度乍恐奉存候
君の被遊 御好候所は一國好申候
君善を被遊 御好候可申候善らハ
御國善国となり可申候
右之通段々申上候事返々も千万恐多奉存候
誠惶誠恐頓首頓首死罪死罪
延享三丙寅年六月廿一日
吉村文右衛門・判
(了)
大体人初メはよく後二ハ悪敷所出申候と奉存候 いつまても
怠りなく慎ミをたもち申候儀難きと相見へ申候 軽キ御役儀等
被為 仰付候ニハ一役を永ク共参年二ハ過申間敷候 十年も
二十年も同し御役儀被為 仰付置候儀ハ宣しかる間敷候
乍恐奉存候 御役儀被為仰付候初メ一二年之程ハ殊之外
つゝしミ大事二かけ申ニより私欲をも仕得不申よく
可有御座候 最早三年にも及ひ申候へハ物こと手ニ入巧者ニ
成り申候故事により弁しよき事も可有御座候得共
此所より慎ミを忘連心怠りゆるミそ連より私欲をも
可仕と奉存候
片落万遍
江戸御供仕り者ハ毎度 御供仕 御供不仕者ハ数年
御供不仕候 御役儀相勤候者ハ久敷相勤 無役ハ数年
無役ニ手打過し申候然共無役之者ハ愚鈍ニ而 無器量人計り
歟と奉存候得共 曽而左様ニ而も無御座候 御役儀相勤候ものハ
発明ニて有器量人計り歟と奉存候得ハ是も又左様ニても
無御座候 廻り/\ニ江戸御供も被仰付御役儀も被仰付
候ハゝ人々きほひも出来可申候 万遍ニ御座候へハときめき
申ものハます/\ときめき埋木ハます/\埋連
行申候 万遍ニ被遊御用候ハゝ人々の才不才 智
不智も分り可申哉と乍恐奉存候
人才
國を治め民を安する本ハ、人才を得て是を用ゆるに
可有御座候 人才を用ひて政をよく仕候ハゝ國治り民
安んする事必然ニ御座候
君今御仁政を行ハせられん事を被為 思召上候共
君を羽翼し奉るもの無御座候ハゝ 御仁政行ハ連
ましく候ト子游武城の宰となり申候時、孔子爾
人を得た里やと問せら連候二而推察仕候 天下を治申候事ハ
人才を得て挙用ゆるを第一と仕候 武城ハ魯の下邑と
御座候へハわつかの所と相見申候 そ連たに右之通孔子の
問御座候へハまして一國にもなり申候ゐてハ人才を
用不申候わてハ宣難参可有御座候 大舜ハ善與
人同す 己をすてゝ人にしたかふ人に取て以て
善をなす事をたのしむと御座候 尭舜の君ハ
大聖人ニ而だに自己の智まてにて治メ給ハす多クの
人才を挙用ひ給ひてそ天下を平治し給ひし事に
御座候 其事は諸書に見へ申候事に而今事新しく
申上候二及はざる事に御座候へ共皆古の國天下を治
給ひし君ハ人才を御用被成候 國天下を失ひ給ひし
君ハ皆倭人を近つけ賢者ニ遠ク忠臣を諌を不聞
人才を用ひ給ハさる故に御座候 武丁位に即キ
給ひてふたたび殷のおこさん事を思ひしか共 其佐ケ
を得給はす 三年迄ニ不信後ニ説を得給ひ 是を
相とし給ひてより殷國大ひに治り申候と見へ申候
いつ連良臣あるにて無御座候へハ國を平治する事
あたはしと見へ申候 聖君といへとも賢臣を得て
是に任し給ハさ連ハ天下に大功をなす事あたはさる
心を韓退之ハ龍も雲を得さ連ハ其霊を神に
する事なくと申候 誠ニ人君賢才を得給ハさるは
龍の雲を得さるの如く船の拕(舵カ)なきかことくに御座候
今 御國におゐても被遊御求候ハゝ全く古人にお
とらぬ様成ル人無御座候 忠義純一にして 御仁政の
御佐ヶに成り申者無御座事ハ有御座ましくと
奉存候 人を被遊御用候二も嫉ミそしるもの必しも
御座候而其人平生不取廻しの事なと申 或ハ
自分の振さハきさへよく仕り得すして大國の
御仕法の事なと此者等か及所にあらすなと可申上候得とも
聖賢の外ハ必しも全ク揃申事ハ無御座候 韓信元貧
賎にて 食を漂母によせて身を資ルの策なく辱を跨
下に受て人を兼日の勇なしとて龍旦笑ひあな
とり申候へ共漢の功をなし申候ハ韓信か計に
御座候 牛は大きなる獣に御座候得共鼠をとらせ申候而ハ
猫におとり申候然共車を引田を耕二ハ其益猫の
能にハかへかたく御座候 無事なる馬の人に馴安キハ
千里の能なく人をふく身くらひ申候馬に必しも
千里の能御座候様に人にも今日わつかの立居
振舞ふつゝかにまいすけいあんの相(挨)拶等不調法なる
ものに大事を任してよき人も可有御座と奉存候
惣躰玉ニ疵と申事ハ御座候得共石ニ疵と申事ハ無
御座候 大躰可用人に疵も可有御座候 無疵ニ而も石ニ而ハ疵有ル
玉には及不申か如く疵無御座候とて碌々たる庸人ニ而ハ
用ゆるに足り不申候 只々明智の人を被遊 御用
御仕法被為 仰付候ハゝ乍恐宜奉存候
明智の人出て事を行ひ申候ハゝ万々の事自然ニ宜成り
可申候返々も明智を被遊 御用古を師とし給ひ
今ニ宜様ニ 御仁政を行ハせられ民を安んし給ふ
様に有御座度乍恐奉存候
君の被遊 御好候所は一國好申候
君善を被遊 御好候可申候善らハ
御國善国となり可申候
右之通段々申上候事返々も千万恐多奉存候
誠惶誠恐頓首頓首死罪死罪
延享三丙寅年六月廿一日
吉村文右衛門・判
(了)