津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

史談会・七月例会

2009-07-20 11:25:34 | 歴史
 テーマは「肥後藩浦賀警備日記」および「若狭武田氏と肥後武田氏」

「肥後藩浦賀警備日記」は、肥後藩士中村恕斎の息・嘉一郎が認めたものである。父・恕斎は弘化二年(1845)から明治三年(1870)までの二十六年間にわたり、きわめて詳細な日記を残している。幕末・維新期の熊本藩のありさまを知る上での一級史料である。現在嘉永三年までの日記が弐巻発行されている。息・嘉一郎の日記は父親の緻密さには及ぶべくもないが、若者らしい行動が隠すことなく書かれていて、下津講師の解説に笑い声が上がる次第である。いよいよ役目を終えて帰途につく嘉一郎だが、次回くらいでこのテーマも終わりというところだろうか。

 「若狭武田氏と肥後武田氏」は本会会員であると共に、地名研究会会員でも有る、F氏・K氏の研究の途中経過の報告である。若狭武田家は元明の代にいたり絶家となるが、細川幽齋の姉・宮川が嫁いだ武田信高の養子となった、甥・元実(七代・義統弟)が肥後に下り阿蘇高森に居住したというものである(武田大和守)
茶道肥後古流(古市流)家元・武田氏や、NHKアナウンサー武田信一氏がその末裔だとされる。先のブログでも書いたが、細川家には宮川の子・英甫永雄(京都建仁寺長老)の斡旋により、たくさんの人が仕官し細川家の根本家臣となっている。しかし是とは全く別の独自の行動で熊本に至っている。両氏の研究は道半ばで、福井の地に足を運ばれて研究の詰めをなさるらしいが、大いに期待をしていることである。

  五代
  武田元光---+--元度
          | 六代      七代   八代(絶)
          +--信豊---+--義統---元明
          |       |
          |       +--元実
          |           ↓
          |         大和守  山城守
          +--信高---+==元実---信秋   墓所:高森含蔵寺
                  |
                  +--英甫英雄(京都建仁寺長老)
                     母・細川幽齋姉・宮川殿

     NHK 武田アナ http://cgi4.nhk.or.jp/a-room/aroom.cgi?i=298
    含蔵寺     flower-k.at.webry.info/200710/article_25.html
              flower-k.at.webry.info/200702/article_52.html
コメント (4)
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