23日のブログで、加藤清正公の歿後400年が来年であることを書いた。熊本では加藤神社や本妙寺で何らかの行事が行われることだろう。
歿後400年といえば、今年がその年に当るのが細川幽齋公である。慶長十五年年八月廿日京都三条車屋町の館で薨じた。享年七十七歳。法号泰勝院徹宗玄旨、京都南禅寺天授庵及び小倉泰勝院に分骨葬られた。
細川家肥後入国後寛永十四年七月立田山の麓に一寺建立、泰勝寺と号し、ここに遺骨が移された。夫人・麝香、嫡子・忠興、忠興夫人玉(ガラシャ)とともに「四つ御廟」と称して仲良く並んでおられる。
熊本では年忌が執り行われるのかどうか承知しないが、細川家内々で行われるのであろうか。当日とはいかないかもしれないが、泰勝寺を訪ねお参りしようと思っている。
歿後400年といえば、今年がその年に当るのが細川幽齋公である。慶長十五年年八月廿日京都三条車屋町の館で薨じた。享年七十七歳。法号泰勝院徹宗玄旨、京都南禅寺天授庵及び小倉泰勝院に分骨葬られた。
細川家肥後入国後寛永十四年七月立田山の麓に一寺建立、泰勝寺と号し、ここに遺骨が移された。夫人・麝香、嫡子・忠興、忠興夫人玉(ガラシャ)とともに「四つ御廟」と称して仲良く並んでおられる。
熊本では年忌が執り行われるのかどうか承知しないが、細川家内々で行われるのであろうか。当日とはいかないかもしれないが、泰勝寺を訪ねお参りしようと思っている。