津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

田中左兵衛のこと

2009-07-28 22:35:01 | 歴史
 先にご紹介した「田中左兵衛封事」を上げた人である。有馬一揆の於いては一番鑓を上げたが、上使の認めるところとは成らず「幻の一番鑓」と称された。細川家はこれを手厚く遇して都合四千五百石とし、肥後藩初の城代職を勤めた。
「大日本史料・細川家史料」の人物索引は、次のように紹介する

【細川家臣。初め佐久間忠助と称す。長門長府に生る。のち豊前にて田中兵庫養子となり、田中左兵衛に改む。元和七年八月忠利中小性に召出さる。のち光尚部屋住の時、御附となる。寛永八年六月十一日忠利より知行百五十石拝領。有馬陣の功により十七年七月五百石加増、并陣刀・時服・羽織・金子等拝領。十八年八月廿三日光尚よりも有馬陣の功により五百石加増、小性頭を命ぜらる。正保元年正月十一日千石加増。慶安四年五月廿八日二千石加増。延宝四年正月隠居。】

 又熊本県史料の人物索引は佐久間玄蕃の子だと紹介する。
これがどうもいただけない。玄蕃とは盛政の事だと思うが天正11年(1583)に、秀吉の手にかかり殺されている。元和七年(1621)といえば玄蕃の死から38年が経過している。
細川家には佐久間の一族の名前が幾人か確認される。それらを含めて改めて精査しなければと考えている。 
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建築家安藤忠雄

2009-07-28 17:45:14 | 書籍・読書

建築家 安藤忠雄
著者:安藤忠雄/著
出版社名:新潮社
販売価格:1,995円(税込)

【本の内容】
建築で闘い続ける男、初の自伝。


【目次】
ゲリラの活動拠点
建築家を志すまで
旅/独学で学ぶ
建築の原点、住まい
都市に挑む建築
なぜコンクリートか
断崖の建築、限界への挑戦
継続の力、建築を育てる
大阪に育てられた建築家
グローバリズムの時代に
子供のための建築
環境の世紀に向かって
日本人のスピリット
光と影

【著者情報】
安藤 忠雄(アンドウ タダオ)
1941年大阪生まれ。建築家。世界各国を旅した後、独学で建築を学び、1969年に安藤忠雄建築研究所を設立。イェール大、コロンビア大、ハーバード大の客員教授を務め、1997年東京大学教授、2003年から名誉教授に。1979年に「住吉の長屋」で日本建築学会賞、2002年に米国建築家協会(AIA)金メダルほか受賞歴多数
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