今日七月二十三日は加藤清正公の命日である。お墓がある本妙寺では夕方から頓写会(とんしゃえ)というお祭りが行われ、毎年七・八万人の参詣客で賑わいを見せる。
清正公の三回忌に、山内の僧侶が一夜にして法華経(69,384文字)を写経したことにより、頓(すみやか)に法華経を写経した法会ということに由来して、「頓写会」とよばれている。
http://www.honmyouji.jp/tonsyae.html
ja.wikipedia.org/wiki/本妙寺_(熊本市)
www.honmyouji.jp
清正公は地元では「せいしょこさん」と親しく呼ばれている。清正公様という二重敬称で尊敬されるが、司馬遼太郎をして農業土木の神様と言わしめた。まさしくそのとおりで、色々な遺構が現在も現役で残っている。細川忠利は肥後入国に際し、熊本城に入ると一番に本妙寺の方向を拝して深く頭を垂れたという。細川家は代々加藤清正を厚くおまつりしている。
かって私は本妙寺の近くに二十年ほど住まいした。頓写会の夜は知人友人があつまり、ドンちゃん騒ぎがきまりであった。わが散歩道として親しんだ参道や「胸つき雁木」は、善男善女で満ち溢れ一夜限りの大賑わいを見せる。来年は清正公歿後400年を迎える。
清正公の三回忌に、山内の僧侶が一夜にして法華経(69,384文字)を写経したことにより、頓(すみやか)に法華経を写経した法会ということに由来して、「頓写会」とよばれている。
http://www.honmyouji.jp/tonsyae.html
ja.wikipedia.org/wiki/本妙寺_(熊本市)
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清正公は地元では「せいしょこさん」と親しく呼ばれている。清正公様という二重敬称で尊敬されるが、司馬遼太郎をして農業土木の神様と言わしめた。まさしくそのとおりで、色々な遺構が現在も現役で残っている。細川忠利は肥後入国に際し、熊本城に入ると一番に本妙寺の方向を拝して深く頭を垂れたという。細川家は代々加藤清正を厚くおまつりしている。
かって私は本妙寺の近くに二十年ほど住まいした。頓写会の夜は知人友人があつまり、ドンちゃん騒ぎがきまりであった。わが散歩道として親しんだ参道や「胸つき雁木」は、善男善女で満ち溢れ一夜限りの大賑わいを見せる。来年は清正公歿後400年を迎える。